【阪神・望月惇志】「ケガをしないことも技術なので」/さよならプロ野球〈24〉

引退―。プロ野球選手にとって不可避の岐路は、新たな人生への「入団」でもあります。オフ恒例の大河企画「さよならプロ野球」で、青年たちの希望の光を追います。2023年の第12弾は、阪神望月惇志投手(26)。

プロ野球

◆望月惇志(もちづき・あつし)1997年(平9)8月2日生まれ、神奈川県横浜市出身。5歳で野球を始め、芹が谷中学時代は横浜南ボーイズに所属。横浜創学館では3年夏に神奈川大会16強。甲子園出場なし。15年ドラフト4位で阪神に入団し、19年に自己最速159キロを計測。21年オフに育成契約となり22年9月には「右肩関節唇修復術」を行った。23年オフに戦力外通告を受け、現役を引退。24年から球団アカデミーのコーチを務める。

タイガースアカデミー

苦しんだ経験を子どもたちへ―。現役引退を発表した阪神望月は「タイガースアカデミーコーチ」として再出発する。

ケガと向き合ったプロ野球生活。今後は幼稚園生や小学生らへ、野球の指導を通して経験を伝えていく。

「責任の大きい仕事ですし、子どもたちの将来がかかってくる。日々勉強しながらという感じですね」

今オフに戦力外通告を受け、一時は現役続行の道も模索。練習を続けながらオファーを待ったが、声はかからなかった。

プロ2年目の17年は右肘痛や腰痛などに苦しみ、同12月に「腰部ヘルニア」の手術を受けた。22年の9月にも「右肩関節唇修復術」を行い、直近のシーズンは右肩の状態と向き合いながらの日々。今季は2軍戦13試合に登板しながらも、患部はベストな状態ではなかった。

「どこかで(引退を)決断しないといけないとは思っていた。肩の状態も100%ではなかったので、そこも考えながらという感じでした」

常に支えてくれた家族とも話し合い、ユニホームを脱ぐことを決めた。

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