山際淳司のコラム観…ストーリーがあり、視点が明快で、字数もたっぷりとある/中編

「江夏の21球」―。徹底した取材をクールな筆致でまとい、スポーツを描く仕事に品格を与えた傑作です。筆者の山際淳司さんは1995年(平7)4月、第1週の火曜日から日刊スポーツで「スポーツアイ」と題した連載を開始しました。しかし連載はたった7回で休止に。13日後、胃がんによる肝不全のため46歳で急逝します。

亡くなるまでの数年、山際さんはことあるごとに日刊スポーツに寄稿していました。最晩年…とは知らなかったはずの傑作選を、リマスター版の3回連載で送ります。第2回は94年10月15日付の紙面から。「新聞週間」のスタートにあわせ、紙の魅力について書き込んでいます。注目は最後の段落。紙からデジタルに媒体が変わっても変わらない、スポーツを書く矜持を鮮やかに表現してくれています。

プロ野球

◆山際淳司(やまぎわ・じゅんじ、本名・犬塚進) 1948年(昭23)7月29日、神奈川・逗子市生まれ。中央大法学部在学中から「女性自身」のデータマンをはじめ、文筆業の道へ入った。80年4月、前年の日本シリーズ広島―近鉄第7戦、9回裏の攻防を描いた「江夏の21球」を「Number」に発表。81年にはこの作品を含む「スローカーブを、もう一球」で第8回日本ノンフィクション賞を受賞した。これ以後、スポーツを題材にしたノンフィクション作品を次々と発表、その一方で、米現代文学の翻訳もしていた。94年4月からはNHK「サンデースポーツ」キャスターを務めた。家族は妻と長男。


◆江夏の21球3勝3敗で迎えた79年日本シリーズ第7戦(大阪)は、4―3と広島の1点リードで9回裏を迎えた。江夏は、先頭の羽田の初球に、中前打を喫する。次打者アーノルドのとき、代走藤瀬に盗塁を許し、捕手水沼の悪送球も加わり無死三塁。アーノルド四球(代走吹石二盗)、平野敬遠で無死満塁と絶体絶命の場面を招いた。代打佐々木は三振で1死。続く石渡の2球目、広島バッテリーはスクイズを外し、三塁走者藤瀬がタッチアウト。最後は石渡を三振に打ち取り、広島が初の日本一を達成した。

■ニューヨーク・タイムズの魅力

ニューヨークという町が好きなのは、そこにニューヨーク・タイムズという新聞があるせいではないかと考えることが、ぼくにはある。

マンハッタンのホテルで最初の晩を過ごし、朝になるとドアのノブにビニールの袋に入った新聞がぶら下がっている。それがNY・タイムズであれば、ぼくはいそいそと着替えをすませ、分厚い新聞のなかから〈メトロ・セクション〉だけを抜き取りレストランに朝食をとりにいくのだ。

NY・タイムズのメトロ・セクションは、いわゆる町の話題をとりあげたページで、事件や人物のクローズアップなどが面白い。

ぼくは、しかし、コーヒーを飲みながらそのメトロ・セクションを飛ばし読みしていく。その数ページ後ろにスポーツのページがあることを知っているからだ。読みたいのはそこなのだ。

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