【慧眼】大谷翔平、交流戦…山際淳司さんが30年前に訴えた改革案が次々と形に/後編

「江夏の21球」―。徹底した取材をクールな筆致でまとい、スポーツを描く仕事に品格を与えた傑作です。筆者の山際淳司さんは1995年(平7)4月、第1週の火曜日から日刊スポーツで「スポーツアイ」と題した連載を開始しました。しかし連載はたった7回で休止に。13日後、胃がんによる肝不全のため46歳で急逝します。

亡くなるまでの数年、山際さんはことあるごとに日刊スポーツに寄稿していました。最晩年…とは知らなかったはずの傑作選を、リマスター版の3回連載で送ります。最終回は94年5月3日付の紙面から。Jリーグに押され気味だった野球界の問題点を鋭く指摘し、未来像を語ります。30年後、現実のものとなる改革案がずらり。リアリストの慧眼を発揮しています。黄金週間まっただ中とは思えない、当時の硬派な紙面展開にも注目です。

プロ野球

◆山際淳司(やまぎわ・じゅんじ、本名・犬塚進) 1948年(昭23)7月29日、神奈川・逗子市生まれ。中央大法学部在学中から「女性自身」のデータマンをはじめ、文筆業の道へ入った。80年4月、前年の日本シリーズ広島―近鉄第7戦、9回裏の攻防を描いた「江夏の21球」を「Number」に発表。81年にはこの作品を含む「スローカーブを、もう一球」で第8回日本ノンフィクション賞を受賞した。これ以後、スポーツを題材にしたノンフィクション作品を次々と発表、その一方で、米現代文学の翻訳もしていた。94年4月からはNHK「サンデースポーツ」キャスターを務めた。家族は妻と長男。


◆江夏の21球3勝3敗で迎えた79年日本シリーズ第7戦(大阪)は、4―3と広島の1点リードで9回裏を迎えた。江夏は、先頭の羽田の初球に、中前打を喫する。次打者アーノルドのとき、代走藤瀬に盗塁を許し、捕手水沼の悪送球も加わり無死三塁。アーノルド四球(代走吹石二盗)、平野敬遠で無死満塁と絶体絶命の場面を招いた。代打佐々木は三振で1死。続く石渡の2球目、広島バッテリーはスクイズを外し、三塁走者藤瀬がタッチアウト。最後は石渡を三振に打ち取り、広島が初の日本一を達成した。

■「むしろ後退した感」

――来年、米大リーグのシアトル・マリナーズが日本で公式戦を行う話があります。日本の球界も海外に目を向ける必要がありそうです

山際プロ野球鎖国・日本に黒船到来という感じですね。まず、Jリーグが第1の「黒船」、さらに、アメリカから日本の野球は刺激を受けつつある。これが第2の「黒船」。いつまでも日本国内だけで野球をやっていればいい、という時代ではない。そもそも、正力松太郎さん(※1)の「遺訓」に「巨人軍がアメリカ野球に追いつけ、そして追い越せ」とある。これほどシンプルで説得力のあるテーマはない。昭和の初期にこれだけのことを考えていながら、60年たった今、むしろ後退した感がある。

(※1)正力松太郎(しょうりき・まつたろう)1934年(昭9)に現在の巨人軍の前身、大日本東京野球倶楽部を設立、プロ野球結成に尽力した。また、大リーグの招致に多大な功績を残し、米国からベーブ・ルースら大リーガーを呼び親善試合を行うなど球界の発展に貢献、「プロ野球の父」と呼ばれる。初代コミッショナー。読売新聞社長、日本テレビ社長などを歴任。1969年(昭44)10月、84歳で死去。富山県出身。

――野球協約の第3条にも「わが国におけるプロフェッショナル野球を飛躍的に発展させ、もって世界選手権を争う」とあります。

山際そのような将来的な見通しに立って野球界を眺めている人が野球機構にいるのかどうか、心配になる。大リーグのゲームが中継されたら、日本の野球の視聴率が下がる、ぐらいの感覚しかないのでは。

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