【中日・中田翔】畏怖の念「バックスクリーンとスコアボードが、でかいのよ」/連載1
阪神甲子園球場が24年8月日、開場100周年を迎える。野球人にとって、聖地はどのような舞台だったのか。「8・1甲子園100周年~甲子園と野球と私~」と題して、聖地にゆかりのある12球団の選手、関係者に12回連載で語ってもらった。1回目は大阪桐蔭時代に1年夏から甲子園を沸かせた中日・中田翔内野手(35)。
プロ野球
◆中田翔(なかた・しょう)1989年(平元)4月22日、広島市生まれ。大阪桐蔭では1、2年夏、3年春に甲子園出場。07年高校生ドラフト1巡目で4球団競合の末に日本ハムに入団。21年8月に無償トレードで巨人移籍し、23年8月6日広島戦で平成生まれ初の通算300本塁打を達成した。同年オフに中日移籍。打点王3度、ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞5度。184センチ、107キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸3億円。
中田は、高校時代とプロで甲子園球場への印象を180度変えていた。
大阪桐蔭に在籍していた当時から「怪物」の異名を取っていた。甲子園で活躍した辻内崇伸投手(元巨人)、平田良介外野手(元中日)が3年時に1年生で05年の夏の甲子園に出場。1回戦の春日部共栄(埼玉)戦では、先発辻内をリリーフして4回1/3を投げきった。
打席でも7回の決勝アーチを含む5打数4安打3打点。初陣で驚異の二刀流で全国に存在を知らしめた。
「うちは裕福じゃなかったから。プロに行ってオカンを楽にさせてあげたい思いが強かった。絶対にプロ行く。だったら甲子園で活躍してスカウトの人たちに見てもらわないとプロ行けねえよなって考えていた。通過点としか捉えてなかった」
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