【日本ハム・八木裕打撃コーチ】代打の神様が若かりしころ見た恍惚の風景/連載〈2〉

阪神甲子園球場が24年8月1日、開場100周年を迎える。野球人にとって、聖地はどのような舞台だったのか。「8・1甲子園100周年~甲子園と野球と私~」と題して、聖地にゆかりのある12球団の選手、関係者に12回連載で語ってもらった。2回目は阪神での現役時代に「代打の神様」と称された日本ハム八木裕打撃コーチ(58)。

プロ野球

2002年7月30日、横浜戦の6回裏2死満塁、代打で逆転満塁本塁打を放つ。投手は横山道哉

2002年7月30日、横浜戦の6回裏2死満塁、代打で逆転満塁本塁打を放つ。投手は横山道哉

「見に行くとかじゃない。野球をしに行くところ」

甲子園100周年企画の取材と伝えると、八木コーチは間髪入れずに「(甲子園と言えば、新庄)監督じゃないの? 俺の方が長いか(笑い)」。現役時代は阪神一筋18年。「私は甲子園球場に代打として育ててもらった」と感謝する「代打の神様」だが、プロ入りまでは聖地に縁がなかった。

高校時代は「もう憧れの場所以外には何もない」というほど、甲子園に青春を懸けた。古豪の岡山東商で出場を目指したが、わずかに届かなかった。「あれが一番のチャンスだった」と振り返るのが2年夏。決勝で関西に敗れた。「決勝で負けたっていうのは本当に…。結局、甲子園は5回(出場の)チャンスがある中で1回も行けなかった。残念でしょうがなかった」。

そこまで憧れた甲子園だが、阪神入団まで足を踏み入れることはしなかった。

「子どもの頃に(甲子園の)横は通ったことはありますよ。でも、甲子園は見に行くとかじゃない、野球をしに行くところだとずっと思っていたからね」

子どもながらに甲子園の外観を彩るツタを見て思いははせたが、試合観戦で訪れることはなかったという。

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