【ヤクルト森岡良介コーチ】明徳初V…涙の奥にはライオンみたいな親父が/連載5
阪神甲子園球場が24年8月1日、開場100周年を迎えます。野球人にとって、聖地はどのような舞台だったのでしょうか。「8・1甲子園100周年~甲子園と野球と私~」と題して、聖地にゆかりのある12球団の選手、関係者に12回連載で語ってもらいました。5回目はヤクルト森岡良介内野守備走塁コーチ(39)。
プロ野球
◆森岡良介(もりおか・りょうすけ)1984年(昭59)7月15日、大阪生まれ。小学1年生で野球を始める。富山リトル、東大阪リトル、中学は東大阪シニア。明徳義塾では、1年夏からベンチ入り。4度の甲子園出場。主将で臨んだ02年夏は全国優勝。同年ドラフト1位で中日入団。08年に戦力外となり、同年にヤクルト入団。16年に現役引退。翌年からヤクルトの1軍野手コーチ補佐、18年からは2軍内野守備走塁コーチ、20年から1軍内野守備走塁コーチで現在に至る。
ヤクルト森岡内野守備走塁コーチにとって甲子園とは―。「成長させてもらった場所。甲子園があったから、プロ野球選手にもなれた」。もう1度、生まれ変わっても、高校球児として甲子園を目指したい―。「もちろん。また行きたいし、みんなと頑張りたいなと思うね」。笑顔でうなずいた。
ただ、苦しさもあった。あの日の涙は忘れない。甲子園と聞けば「百獣の王」も頭をよぎる。
本文残り76% (1452文字/1903文字)

岐阜県・羽島郡出身。2浪1留の親不孝者。青学大から13年入社。
野球部でアマチュア、巨人、ヤクルト、楽天、DeNA、巨人を歴任。一番の思い出は、19年の台湾出張。痔が悪化し、現地ホテルで試合観戦。異国の地で、購入したボラギノールは忘れられない。
20年からスポーツ部に異動し、サッカー担当に。23年秋から野球部に復帰。好きなものは、優しいウォシュレット。嫌いなものは、硬い椅子。