【野球少年は手削りバット職人になった】八王子発「Gips」の物語/後編
国内で数人しかいない手削りのバット職人、田中竜二さん(21)は故郷の東京・八王子市に工房を構えた。オリジナルブランド「Gips」は兄で「若き天才グローブ職人」と呼ばれた勇也さんが21歳で立ち上げた。勇也さんは2022年6月に22歳で亡くなった。竜二さんは、あの日のことを淡々と語ってくれた。
その他野球
◆田中竜二(たなか・りゅうじ) 2003年(平15)2月25日、東京・八王子市生まれ。兄勇也さんの影響で小2のころに長房ジャガーズで野球を始め。中学時代は八王子リトルシニアで硬式野球を始め、神奈川・立花学園に進学。夏の甲子園が中止になった3年夏の神奈川大会で8強入り。21年4月にバット職人を志して野球メーカー「ATOMS」に入社。すぐに滋賀のオーバットファクトリー社、富山のロンウッド社に出向して修業を開始。24年春から独立して父が経営する田中産業の一角にある工房で、手削りバットの生産、販売を開始した。2階には勇也さんのグラブ工房が残る。
2022年6月8日
亡くなった当日、勇也さんは兄弟で共通の知人ら2人と工房で会う約束をしていた。オーダーグローブの打ち合わせだったが、約束の時間になっても姿を現さなかった。
知人から、富山で仕事をしていた竜二さんの元にも連絡が入った。
「何か知ってる? さぼったのかな?」。
竜二さんに心当たりはない。電話をかけても出ないので、「どうした?」とメールを1通送った。
父はその前夜、午後9時をすぎても工房でグローブを作る勇也さんの姿を目にしていた。スタッフによると、ブランドをPRするTikTokの動画撮影もしていたという。
姿もなく連絡が取れないことから、父が工房近くの勇也さんのアパートをたずねると、すでにベッドで息を引き取っていた。急すぎる、別れだった。
竜二さんの元に父から連絡が入ったのは深夜0時すぎ。「勇也、死んじゃったよ」。
頭が真っ白になった。
以上が竜二さんが語った2022年6月8日。
思い出したくもない、つらい出来事だったろう。それでも、仕事場での兄の姿は忘れない。同じATOMSに入社しながら、めったに同じ現場にならなかったが、いざグローブを作り始めると、裁断から組み立てまで、3時間で1個を仕上げてしまう。早いだけでなく、品質の高さも評判で、みんなに認められる存在だった。
「あのギプスの子か!」
驚くような事故に巻き込まれたこともあった。入社1年目、グローブの材料を原皮から裁断していると、調子に乗って慌ててしまい、裁断機で腕をプレス。粉砕骨折間違いなしの事故なのに、運良く単純骨折だけで済んだ。入社直後の包帯姿はよく目立ち、社内外で「あのギプスの子か!」と、知られることになる。
だから、独立の時に選んだブランド名は「Gips」。ラベルのマークは「G」の文字に包帯を巻いた。
素顔はとぼけた一面があり、「お前とは会話にならない」とあきれられたり、ユーモアが好きで、周囲から愛された。
誰より竜二さんはずっと、兄の背中を追い続け、離れて暮らしても週に2、3回は連絡をとりあっていた。
「Gipsを自分が継いでやろう。手削りバットでGipsを継ごう」。
週末限定で手削りバットの師匠の元に通った生活は、工房の閉鎖で終わっていた。ロンウッド社で機械でバットを作る作業に専念したが、同社は塗装の工程はロクロを使った手作業で、独立後の作業に大いに役立った。
工房の1階部分で
3年目の23年、ATOMSとロンウッド社の理解を得て、1カ月のうち1週間は八王子に帰省した。工房を整理して、1階部分をバット作りができるように整理した。
準備を進め、24年になると独立した。正式には田中産業ベースボール事業部のバット職人。工房内に展示する定番バット(1本1万5000円)を販売し、オーダーバット(1本1万8000円)を受注生産する。
「八王子は大学が多いですけど、買いに来る人はなかなかいませんね」と苦笑する。だから、時間があれば田中産業が手掛ける防護壁や防球ネットの施工の現場で働く。「工事現場の仕事は、礼儀とか人との関係性や、整理整頓とか勉強になることが多いです。防球ネットの仕事は、野球関係の人とのつながりができることもあるんです」。
野球道具系インフルエンサー・あわちゃんが工房を紹介する動画を配信すると、高校生のユーザーがやってきてオーダーを受けた。「『これ、思い通りになっている』って、みなさん少年のように目を輝かせて喜んでくれます。何よりやりがいになりますね」。
先輩の1号本塁打
八王子シニアの1学年上の先輩で、独立リーグ栃木ゴールデンブレーブスでプレーする菅野秀斗(23)に試してもらうため1本渡したら、6月7日の信濃戦でプロ1号本塁打を放った。
「うれしかったです。菅野さんは『はじきがいいね』って追加で5本作ってくれたんです。まだまだ僕の技術が足りないんですけど、お客さんの話しを聞いて、こちらの意見も言って、一緒に1本を作り上げる一一番大事なことかもしれませんし、作り手として重きをおきたいところです」。
「1本作ってください」
取材のはずだったが、1本作ってもらいたくなってきた。工程の写真撮影用にと言い訳して、オーダーバットを依頼した。もちろん、自己負担だ。
高校で硬式、大学で軟式野球をやったが、数年前に「バッティングセンター巡り」という連載を終えてから、バットを振る機会はほぼなくなった。
竜二さんの「重さと材質はどうしますか?」の問いに、見栄をはって、プロ選手と変わらない「少し軽めに880グラムで」と答えてしまった。
材質は「はじきがいいから」とハードメープルを選ぶ。いったい、いつ硬球をはじくんだ?
グリップは? 100本以上が並ぶバットから、なだらかにグリップエンドに向かって太くなっていく、軽めのタイカップ型を選ぶ。子供のころから、ネーミングの響きだけであこがれた「タイカップ型」が自分の物に!
岡山で過ごした中学時代、太めのグリップと言えば、阪急福本豊タイプぐらいしか店頭にはなかった。「ツチノコバット」とも呼ばれた、ずんぐりしたスタイルで、その店ではあまり売れなかったらしく、半額の1500円(軟式)ぐらいで売っていたので飛びついた。
そんな思い出話も、竜二さんはニコニコしながら聞いている。
バット全体に形状は、相談してほんの少しヘッドに向かって細くなるタイプを選んだ。「振り抜きがよくなるんですよ」と竜二さん。ありがとう。いつ振るかもわからないのに、真剣に考えてくれて…。
いざ、作業開始。バットの太さに近い材木を、緩やかにバット型の流線形にした物を、削り台にセット。機械で回転させると、平刃と丸型の「バイト」を薄く当て、削っていく。
削りくずが舞い上がり、みるみるバットの形になっていく。
取材者としていろいろ質問すべきだろうが、厳しい表情で絶妙なタッチを続ける竜二さんを前に、背筋が伸びた。36歳下の職人を見とれるだけだった。
「1回試してみますか?」。作業途中のバットを、工房前の駐車場で振った。なめらかな手触り。左小指に吸い付く軽く太めのグリップエンド。
振ってみる。周囲から見ると、腰が回らず、ハーフスイングぐらいにしか見えないだろうが、今の私にはフルスイング。せいいっぱい、いい感じだったが…。
「少し削りますね」。数分後、もう1回。おお、さっきより風切り音が鋭くなった…気がするのは自由だ。「いいですね。これでお願いします」。
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1967年生まれ、岡山県出身。1990年入社。
整理部を経て93年秋から芸能記者、98年秋から野球記者に。西武、メジャーリーグ、高校野球などを取材して、2005年に球団1年目の楽天の97敗を見届けたのを最後に芸能デスクに。
静岡支局長、文化社会部長を務め、最近は中学硬式野球の特集ページを編集している。