【感謝の手紙】谷繁元信さんから亡きおやじへ―いつか必ず、もう1回、ユニホームを
日刊スポーツ評論家の谷繁元信さん(54)が、先月5月2日に亡くなった父一夫さん(享年88)に感謝の手紙を贈った。5月4日に告別式、6月8日に49日法要を執り行い、ごく一部の関係者にしか訃報を知らせていなかったが、15日は「父の日」。亡き父への思いを明かした。15年の現役引退までプロ野球記録の3021試合に出場。捕手で2963試合出場はギネス記録に認定されるなど、陰で支えたのは「おやじ」の存在だった。
プロ野球
◆谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日、広島県生まれ。江の川(現石見智翠館)で87、88年夏の甲子園へ出場。8強入りした88年は、島根大会全5試合で計7本塁打を放った。同年、ドラフト1位で大洋に入団。98年に38年ぶりの日本一に貢献。01年オフに中日へFA移籍し、リーグ優勝4度、07年には日本一。15年の引退までプロ野球記録の3021試合に出場し、27年連続本塁打、ベストナイン1度、ゴールデングラブ賞6度。16年は監督専任。右投げ右打ち。
おやじは、プロ野球選手、谷繁元信の一番のファンだった。ありがとう!
どんな人だったか…ひと言で表現するなら、この言葉が浮かんでしまう。昭和の時代を生きた典型的な人。厳しく強かった。
僕らの世代の人たちは共感してもらえるかもしれないが、子どものころから、おやじの弱音や、ましてや泣いている姿など見た記憶がない。時代背景もあったのでしょう、親子での言葉数は少なかった。とにかく、つべこべ言わず、「やってみろ!」という教えだった。
本当におやじの背中を見て育ったと思う。子どものころは、そんなおやじが正直、嫌いだった。勉強や家の手伝いも強制的にやらされる。「やれ、やれ」と言われれば言われるほど、反抗的になった。
でも野球に関しては、感謝しかない。野球は好きだったから、おやじの言うことを素直に聞くことができた。小学生のころ、自宅の庭にバットでタイヤを打つ、練習器具をつくってくれた。おやじは役場の職員で草野球程度しかやっていなかったから、その指導やアドバイスが合っていたか分からない。でも僕のバッティングの基礎を築いたのは確か。
僕のスイングは、子どもの頃から、プロ野球まで変わっていない。昔はダウンスイングが主流だったが、教わったのはレベルスイング。どちらからというとアッパースイングに近かったのかもしれない。
この独特の打ち方をずっと変えなかった。というより、体が覚え込んでいるから、変えられなかった。高校からドラフト1位でプロ入りし、プロ野球の世界で長く現役を続けられた要因の1つだと思っている。
小学生の低学年からキャッチボール、近くの神社の階段を走るなど、二人三脚でやってきた基礎が、ずっとプロ野球でも財産として生きていた。
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