【私と長嶋さん〈8〉】天覧試合サヨナラ本塁打をジャッジ「歴史の証人」が語る審判の流儀

審判という仕事に、余計な感情は不要だ。それがたとえ、長嶋茂雄であろうとも。見るべきは、ただボールだけ。野球を国民的スポーツへ押し上げるきっかけとなった1959年(昭34)の天覧試合で、左翼の線審として巨人長嶋のサヨナラ本塁打をジャッジした富沢宏哉さん(93)が、静かに当時を振り返りました。

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◆富沢宏哉(とみざわ・ひろや)1931年(昭6)7月25日生まれ、東京都出身。小金井高(現小金井工科高)卒。55年にセ・リーグ審判部に入局。日本シリーズ、オールスターに各9度出場。80~89年にセ審判部長。90年引退。全日本野球会議審判技術委員などを歴任。25年1月、特別表彰で野球殿堂入りした。

天覧試合で左翼の線審を務め、長嶋茂雄氏のサヨナラ本塁打をジャッジした富沢宏哉さん。王貞治氏の756号本塁打の球審を務めた時の写真をベッドサイドに置いている

天覧試合で左翼の線審を務め、長嶋茂雄氏のサヨナラ本塁打をジャッジした富沢宏哉さん。王貞治氏の756号本塁打の球審を務めた時の写真をベッドサイドに置いている

「村山に恥をかかせるだけだからな」

1959年6月25日、後楽園球場。巨人対阪神。プロ野球初の「天覧試合」として語り継がれる、あの夜だった。

敗戦から14年。東京の街は復興の埃(ほこり)を振り払いながら、ようやく戦後という影を脱ぎ捨てつつあった。テレビが各家庭に入り始め、東京タワーが完成し、東京オリンピックの開催が決定した。日本人の心に「高度経済成長」の灯がともり始め、希望に満ちあふれた時期だった。

59年6月、プロ野球初の天覧試合となった巨人-阪神戦の9回、村山からサヨナラ本塁打を放ち打球の行方を見る長嶋

59年6月、プロ野球初の天覧試合となった巨人-阪神戦の9回、村山からサヨナラ本塁打を放ち打球の行方を見る長嶋

その夜、球場は異様な熱気に包まれていた。昭和天皇、皇后両陛下が見守る中、国民が固唾(かたず)をのんで試合の行方を見守った。4-4で迎えた9回裏。その空気を断ち切ったのは、やはり「ミスター」だった。放たれた白球はポールのわずか内側、左翼スタンドへと吸い込まれた。左翼の線審を務めていた富沢さんは、その一瞬たりとも視線をそらさず、打球の行方を正確に見届けた。「ストーンと入ったよ」。迷いはなかった。腕を大きく、力強く回した。

左翼の片隅から、天皇陛下が立ち上がり、観戦を続けている姿が目に入ったのは、その直前のこと。午後9時15分に陛下が球場を後にする、わずか5分前。球史に残る劇的な幕切れが訪れた。

サヨナラ本塁打を放ち、照れながらインタビューに応える長嶋

サヨナラ本塁打を放ち、照れながらインタビューに応える長嶋

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1990年入社。アマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏、2006年夏の甲子園を制した早実・斎藤佑樹氏など取材。
プロ野球ではロッテ・バレンタイン監督解任騒動。DeNAの球界参入から中畑清初代監督フィーバーなど担当。
ストレス発散は1人カラオケ(ミスチル縛り)とゴルフ。