【私と長嶋さん〈10〉】厳しさの奥にあった「野球の伝道師たれ」という信念

「プロなんだからやるのは当たり前だろう」。日本野球機構(NPB)の中村勝彦事務局長(58)は、04年アテネ五輪で日本代表のマネジャーを務めた際、当時監督を務めた長嶋茂雄さんから投げかけられたこのひと言を今も胸に刻んでいます。厳しさの奥にあったのは「野球の伝道師たれ」という信念でした。92年の出会いから代表活動、五輪本番、さらには病に倒れた後の交流を振り返りました。

プロ野球

◆中村勝彦(なかむら・かつひこ)1967年(昭42)長野県生まれ。日体大卒業後、青年海外協力隊としてコスタリカに赴任。帰国後、94年に日本野球機構(NPB)入り。総務部、国際部、運営統括部などを経て今年1月に事務局長に就任。

「背中にストーブのような熱さ」

92年、松井秀喜入団会見で。中央は正力亨オーナー。

92年、松井秀喜入団会見で。中央は正力亨オーナー。

中村事務局長が長嶋さんと初めて接点を持ったのは92年、東京ドームのベンチ裏だった。

国際選抜チームの通訳を務めていた際、長嶋さんがキューバの強打者リナレスの金属バットに興味を示し、その通訳をしたことがきっかけだった。その後NPBに入局すると、さまざまな場面でミスターの存在感に触れることになる。

95年のNPBアワードでは「背中にストーブのような熱さ」を感じて振り返ると、そこに立っていたのが長嶋さんだった。「初めてオーラを感じた瞬間だった」と語る。

さらに00年、日本一になった巨人が優勝ペナントを受け取る場で補助役を務めた際、長嶋監督は「これが欲しかった。ありがとう」と感無量の表情を浮かべ、その人柄に深く感銘を受けたという。

大きな転機は00年シドニー五輪後に訪れた。

「プロなら、やるのは当たり前だろう」

02年 日本オリンピック委員会主催のコーチ会議で講演した長嶋さんは日の丸と五輪旗の前で熱く語る

02年 日本オリンピック委員会主催のコーチ会議で講演した長嶋さんは日の丸と五輪旗の前で熱く語る

長嶋さんが日本代表強化本部長を経て、02年に代表監督に就任した。そのタイミングで中村氏は代表チームのマネジャーを任された。多忙な業務に思わず弱音を吐いたとき、長嶋さんから返ってきた言葉が忘れられない。

本文残り71% (1630文字/2293文字)

1990年入社。アマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏、2006年夏の甲子園を制した早実・斎藤佑樹氏など取材。
プロ野球ではロッテ・バレンタイン監督解任騒動。DeNAの球界参入から中畑清初代監督フィーバーなど担当。
ストレス発散は1人カラオケ(ミスチル縛り)とゴルフ。