【あの日あの紙面】西城秀樹さんの死から4年 6ページ追悼号で“ヒデキ”を思い返す

ヒデキが、西城秀樹さんが、63歳の若さで天に召されて4年がたった。2018年5月16日の深夜のことだった。そのパフォーマンスと歌声はいまだに心から離れない。5月18日付の日刊スポーツ(東京最終版)は、とても悲しい知らせなのに、どこか明るさがある、秀樹さんらしい6ページだった。当時の紙面と記事で振り返る。

音楽

◆記者が西城秀樹さんを悼む◆

エンタメ

笹森文彦Fumihiko Sasamori

Hokkaido

札幌市生まれ。早大第1文学部心理学科卒。1983年入社。
同年秋に東北6県を管轄する東北支社に配属され、仙台市に赴任。22年夏に高校野球で初の大旗の白河越えを果たした仙台育英(宮城)や金足農(秋田)、元マリナーズの佐々木主浩氏がいた東北福祉大などアマチュアスポーツを中心に取材。
87年から文化社会部で主に音楽担当。演歌・歌謡曲やアイドルだけでなく、井上陽水、矢沢永吉、松山千春、長渕剛、アリス、玉置浩二、稲垣潤一、中島みゆき、松任谷由実、高橋真梨子ら数多くのミュージシャンをインタビュー。90年のザ・ローリング・ストーンズ初来日公演を始め、ポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソン、マドンナ、エリック・クラプトンら数々の日本公演を取材。初代ジャニーズ担当記者でもある。
93年から日本レコード大賞審査委員を務め、16年は審査委員長。テレビ朝日系「ワイド!スクランブル」「スーパーモーニング」、テレビ朝日系東北6県番組「るくなす」、福岡放送「めんたいワイド」などにコメンテーターとして出演。座右の銘は「鶏口牛後」。血液型A。