羽生結弦たった1人のゼミ同期が明かした学業奮闘記

羽生結弦、北京オリンピック(五輪)で94年ぶりの3連覇に挑んだ歴史に残るスケーターには、ただ1人の「同期」がいます。親子のように年の離れた2人の関係とは。そして「同期」は羽生選手をどう見たのでしょうか。

フィギュア

<北京五輪:フィギュアスケート個人4位>

2022年2月10日、羽生は北京五輪男子フリーでクワッドアクセル(4回転半)に挑んだ

2022年2月10日、羽生は北京五輪男子フリーでクワッドアクセル(4回転半)に挑んだ

早大31歳差のゼミ仲間、伴仲さん

フィギュアスケート男子の羽生結弦(27=ANA)が3度目のオリンピック(五輪)を全うしてから、間もなく1カ月がたつ。

北京大会では94年ぶりの3連覇こそ逃したが、ただ1人、挑んだクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)が国際スケート連盟(ISU)公認大会で初認定された。五輪史に「4A」の2文字が刻まれた。

その姿を日本で見届けていた、ただ1人、の「同期」がいる。早大人間科学部(通信教育課程)西村昭治ゼミで2年間、ともにした伴仲道憲(ばんなか・みちのり)氏(58)だ。年の差31歳。生徒2人だけの卒業研究ゼミだった。

「北京五輪では、ショートプログラムで(氷上の穴にはまる)トラブルがありながらも、その後の完璧な演技で見る人を魅了されました。フリーの演技では、何と言っても五輪で初めて4回転半にチャレンジ。公式に認定された時は感動で胸が熱くなりました」

そうテレビ観戦を振り返る伴仲氏は、総合毛髪関連企業アデランスのグループ会社で、ウィッグやヘア小物などの製造・販売を手掛けるハイネットの代表取締役社長を務めている。

“出会い”は18年10月。通信教育課程のオンライン上で、当時23歳の羽生と54歳の伴仲氏と、西村教授によるゼミが始まった。

「うちの子供が32歳、30歳、25歳なので羽生さんと近い世代。私とは30以上離れていますが、ちゃんとゼミ仲間です(笑い)。尊重し合うのに年齢は関係ありません。若い世代から学ぶべきことは多いですから」

羽生は13年、伴仲氏は15年の4月に入学。2学年違いの2人が同期になった理由は、いくつかあった。

まず、拠点を仙台からカナダ・トロントに移していた羽生は、シンプルに多忙だった。進学後に五輪2連覇を達成するなど、国際大会の転戦や日々の練習に追われる日々。学業に集中できる時間が限られていた。

フルタイム受講が本分の学生のように4年間で卒業することは難しい。実際、西村教授によると「社会人も多いので、卒業まで平均6、7年といったところでしょうか」。その中で羽生は、オンデマンド授業を可能な限り受け、遠征の合間にリポートを提出して6年目から卒業研究へ進んだ。

2013年6月23日、早大に進学直後の羽生はやわらかな表情を浮かべた

2013年6月23日、早大に進学直後の羽生はやわらかな表情を浮かべた

一方の伴仲氏は4年目から。上司でアデランス代表取締役社長グループCEOの津村佳宏氏も西村ゼミの卒業生だった縁で、合格直後から教授と話す機会に恵まれたことが良かった。

「羽生君は、ものすごく頑張っていますよ」

そう聞くたびに「頑張って追いつきたい」と、ゼミのスタートラインで並びたいと考えるようになった。当時は本社の営業企画部長や人事担当役員を歴任。社業の傍ら、いくら疲れていても「ここで寝たら追いつけないぞ」と追い込んで単位を次々取得。17年度の末までに必要数をそろえた。

迎えたゼミ選び。西村教授は早大のeスクールを立ち上げた1人で、高い人気を誇る。それがなぜ履修生2人だけになったのか。

18年2月14日。教授が、くも膜下出血で倒れたからだった。羽生が男子66年ぶりの2連覇を達成した平昌五輪の期間中のことだ。

スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。