島田高志郎が初めて答えた「宇野昌磨の会見発言」/4大陸現地限定取材

【コロラドスプリングズ(米国)8日(日本時間9日)】フィギュアスケート4大陸選手権の開幕を翌日に控え、公式練習2日目が行われました。

この日は男子の日本勢が当地限定の取材に対応。昨年末の全日本選手権で初の2位と飛躍した島田高志郎(21=木下グループ)が「シーズンを通しての目標が4大陸選手権の出場だった」と笑顔で語りました。

一方、権威ある全日本で準優勝しながら、最上位の世界選手権(3月、さいたま)代表に選ばれず、この4大陸選手権(欧州を除く地域のNO・1決定戦)に回ったことが物議を醸した件についても、質問を真っ正面から受け止め、真摯(しんし)に答えました。

フィギュア

22年全日本2位となった島田高志郎(左)。優勝の宇野昌磨(中央)と3位の友野一希

22年全日本2位となった島田高志郎(左)。優勝の宇野昌磨(中央)と3位の友野一希

「目標が4大陸選手権に出ることだった」と前を向き

当地メディアとの主な一問一答は次の通り。

――お疲れさまでした。曲かけ練習では、前日もこの日の朝(午後のメインリンク前、プラクティスリンクで午前に行った練習)もジャンプをスルーしていることが多いんですが、いつものスタイルなんですか

島田 試合の時は、それが最近は多いかなと思います。もうほとんどイメージづくりでやっている感じなので。

――そうなったきっかけは

島田 どうですかね。今までは、公式練習で自信というか不安を取り除くためにジャンプをたくさんやっていたことが多かったんですけど、結局「自信とか不安って自分次第やな」って思うようになってから、それなら「イメージだけで十分じゃないかな」という風に変わりました。

――正月は地元の愛媛県で過ごしてから、拠点のスイス・シャンペリーへ戻ったんですよね。その後は4大陸に向けてどのような調整を

島田 体のコンディショニングが主でした。やはりその、山あり谷ありというか、体の面で思うように練習ができなかった日々とかは、もちろんありはするんですけど、その中で最大限自分ができることを。常に氷の上には乗っていましたし、その中でできるものを最大限にやってきました。

――全日本で2位になって変わった部分は

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。