【山本草太の言葉〈SP編〉】「それでも絶対、僕は立ち上がってこられたので」

初出場の山本草太(23=中京大)が、かつてない難しさを味わいました。雰囲気にのみ込まれた形です。

4回転トーループで両手を氷につき、4回転サルコーはこらえたものの出来栄え点(GOE)マイナス、3回転半で転倒しました。

グランプリ(GP)ファイナル銀メダルなど飛躍した今季の集大成が、自己ベストに21・01点も及ばないスタート。「経験のなさが出た」と悔しがりました。

まさかの17位…彼に何が起きていたのか。「山本草太の言葉〈SP編〉」で初日の試合を振り返ります。

フィギュア

〈フィギュアスケート:世界選手権〉◇23日◇さいたまスーパーアリーナ◇男子SP17位(75・48点)

初の世界選手権、山本草太のSP

3月23日、SPでの演技を終え悔しげな表情を浮かべる山本

3月23日、SPでの演技を終え悔しげな表情を浮かべる山本

笑顔の理由「うまくいっていない僕に『頑張れ』と」

――演技を終えて

山本 やっぱり初めての世界選手権ということで、思い切って行ける立場ではあったんですけど、どこか緊張感や難しさがあったSPだったかなと。そんな簡単にはいかないと思いますし、切り替えてフリーを頑張っていきたい。

――ジャンプが乱れた原因は

山本 自分の弱さが今日も出た。練習ではうまくできていたとは思いますけど、来るまでの練習はどこか総合的に見た時に、ノーミスというか、完成度的には低かったかなと。思い返すとたくさんあったので、ダメだった方が今日は出てしまったかなと思います。

――世界選手権初出場。感じたことは

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スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。