【低評価を覆した男たち】中沢佑二「決めたら曲げない石頭」が田臥勇太の言葉で柔らかく

過去もっとも、日本代表への期待感が薄かった大会ともいえた2010年のワールドカップ(W杯)南アフリカ大会。なぜこの時の日本代表は、前評判を覆し16強という結果を残すことができたのか。同大会前に代表23選手を扱った連載「奇跡に挑む者たち」を復刻掲載。彼らのルーツに、ブレイクスルーを成し遂げるヒントが隠されている。DF中沢佑二編。(2010年5月27日紙面より 所属、年齢など当時)

サッカー

<2010南アW杯 DF中沢佑二編>

W杯ドイツ大会を1年後に控えた05年のリーグ開幕直後。中沢の右ひざに激痛が走った。診断は関節炎。痛みは腰、足首にも広がった。注射を打ちながら出場を続けたが、医師からは「プレーしながらの完治は無理。手術しても治ると断言できない」と宣告された。