【スクール☆ウォーズ伝説:父編】伏見工主将が語る、ドラマより熱い涙と絆の物語

80年代にヒットしたドラマ「スクール☆ウォーズ」の冒頭、学校の廊下でバイクを走らせた生徒がいる。そのモデルとなった小畑道弘は還暦を過ぎ、闘病生活を送る。伝説のラガーの今。(2021年5月17日掲載。年齢、所属など当時。敬称略)

ラグビー

伏見工元監督の山口良治氏(左)と小畑道弘さんの交流は今も続いている(山口氏提供)

伏見工元監督の山口良治氏(左)と小畑道弘さんの交流は今も続いている(山口氏提供)

学校の廊下をバイクで走ったモデル

「今年もまた、ワシらの記念日が来ますね。

この時期になると、今でも思い出すんですわ。

若かったなあ、熱かったなあ、ってね。

でもね、変わりませんよ。

60を過ぎた今でも、気持ちはあの日のままですわ」

1975年5月17日。

伏見工業ラグビー部は、京都府春季総体の初戦で花園高校と対戦した。

碁盤の目の南にある吉祥院球技場。前年度の全国高校ラグビーで準優勝した相手になすすべなく0-112で敗れた。

試合後、グラウンドの隅に選手が集まる。

主将だった小畑道弘は地面に膝をつき、声を出して泣いた。

「悔しいです。畜生! 先生、俺たちを勝たせてください」

ドラマ「スクール☆ウォーズ」で描かれた名場面。山口良治にとって、監督就任後、初の公式戦だった。

授業をサボってタバコやマージャンをするのは日常茶飯事。学校内でバイクを乗り回し、シンナーを吸う生徒もいた。

夢や目標のない生徒の心に火をともそうと、山口は1人、1人の部員を殴る。

「頬の痛みは3日もすれば消える。

ただ、この悔しさだけは一生、忘れるな!」

そう、叫びながら-。

あれから長い月日が流れた。

小畑に取材の連絡を入れると、こちらから切り出す前に、かすれた、小さな声を絞り出すようにこう言った。

「ああ、ご無沙汰しています。

そういえば、もうすぐ記念日ですね。ワシらにとっての」

まだ、物語は続いていた。

伏見工元監督の山口良治氏(左)とグラウンドで談笑する小畑道弘さん(山口氏提供)

伏見工元監督の山口良治氏(左)とグラウンドで談笑する小畑道弘さん(山口氏提供)

「真実はドラマだけじゃあ、ないからね」

ドラマのモデルにもなったあの時の主将は、闘病生活を送っていた。

2020年1月に肝臓と腎臓を患い、3カ月の入院生活を送った。

虫の知らせで聞いた恩師の山口は、杖(つえ)をついて京都・伏見にある病院まで駆けつけてきた。

「ワシがまだ元気やというのに、お前が体を壊して入院するなんて、どういうこっちゃ!」

もうすぐ80歳になろうという山口は、2016年に教え子の平尾誠二さんを亡くしている。

それ以降、「親より早く逝ったらアカン。ワシより先に逝ったらアカン」という言葉を、繰り返すようになっていた。

「僕と先生の関係は、特殊やからね」

そう小畑は言った後に、46年前の記憶を思い出すように続けた。

「みんな、先生と僕のことを『スクールウォーズや』って言いよるでしょ。

僕からしたらね、『何言うとんねん! お前ら、オヤジ(山口)との間に何があったか、知らんやろ!』って思うわけよ。

編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。