【ブルーザー・ブロディの素顔〈下〉】ジャンボ鶴田に愕然、猪木の瞳には闘魂を見た

7月17日は今も“最強外国人プロレスラー”と言われるブルーザー・ブロディさん(享年42)の命日になる。今から34年前の88年7月16日、プエルトリコ遠征中に腹部を刺され、翌17日に亡くなった。日本では全日本と新日本の両団体でジャイアント馬場やアントニオ猪木と名勝負を繰り広げ、トップ外国人レスラーとして一時代を築いた。当時、東京スポーツの記者としてブロディさんに最も信頼され、米国の自宅でも取材経験のある、プロレス解説者の柴田惣一氏(63)にブロディの知られざる素顔、最強説について聞いた。

プロレス

〈プロレス解説者柴田氏が回顧:下〉

全日本武道館大会 故ブルーザー・ブロディさんの追悼セレモニーが行われ遺影を持ちリングに上がるバーバラ夫人と息子のジェフリー君(1988年8月29日)

全日本武道館大会 故ブルーザー・ブロディさんの追悼セレモニーが行われ遺影を持ちリングに上がるバーバラ夫人と息子のジェフリー君(1988年8月29日)

◆ブルーザー・ブロディ 1946年6月18日、米ミシガン州デトロイト生まれ。本名はフランク・グーディッシュ。ウエスト・テキサス州立大でアメリカンフットボールの選手として活躍。68年にNFLのワシントン・レッドスキンズに入団したが、膝を痛めて引退。74年4月にプロレスデビュー。79年1月に全日本プロレスに初来日。81年10月にドリー・ファンク・ジュニアからインターナショナル・ヘビー級王座を奪取。世界最強タッグ決定リーグ戦では優勝1回、準優勝2回。85年に新日本に移籍も、87年に全日本復帰。88年7月16日、プエルトリコ遠征中に腹部を刺され、翌17日に死去。得意技はキングコング・ニー・ドロップ、ギロチン・ドロップなど多数。198センチ、135キロ。

ブロディの思い出を語る柴田惣一氏

ブロディの思い出を語る柴田惣一氏

◆柴田惣一(しばた・そういち)1958年9月11日、愛知県岡崎市生まれ。学習院大卒。82年に東京スポーツ新聞社に入社。プロレス担当記者、第二運動部部長、プロレス大賞選考委員長、WEB東スポ編集長などを歴任。94年から四半世紀にわたり新日本プロレス中継番組「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日系)の解説者を務める。15年に東京スポーツ新聞社を退社。その後、プロレスサイトの「プロレスTIME」や「プロレスTODAY」の編集長を務めた。