解任を迷うな…異例の進言 森保監督を強くしたクビになった経験

ワールドカップ(W杯)カタール大会開幕まで6カ月を切った。日本代表監督の森保一(53)は、アジア最終予選の最中、成績不振で一時は解任の危機に立たされたものの、本大会の切符をつかんだ。広島の監督だった17年夏、事実上の解任を経験。だから今、強くいられる。あの年、48歳の森保に何があったのか-。(敬称略)

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Jリーグチャンピオンシップ(CS) 決勝・第2戦 広島対G大阪 表彰式で優勝シャーレを掲げ喜ぶ森保一監督(中央)ら広島の選手たち=2015年12月5日

Jリーグチャンピオンシップ(CS) 決勝・第2戦 広島対G大阪 表彰式で優勝シャーレを掲げ喜ぶ森保一監督(中央)ら広島の選手たち=2015年12月5日

広島監督6年目を迎えた夏、突然終わり

17年7月4日、火曜日。広島から1つの重大発表があった。

「森保一監督 退任のお知らせ」と題したリリースの内容は「7月3日をもちまして退任いたしましたので、お知らせします」。

第17節を終え、2勝4分け11敗の17位。極度の成績不振で、J2降格の足音が聞こえていた。シーズンの折り返しで、指揮官は責任を取った。

リリースには森保の最後のメッセージが記された。

「プロは結果がすべての世界。喜んでいただけるような結果を残すことができず、申し訳ありません。3度の優勝で喜びを分かち合えたことは、いい経験となりました。今は感謝の思いしかありません」

12年、当時43歳の若さで、森保は古巣広島で初めて監督業に挑戦した。

いきなり、J1優勝。2年目、4年目も優勝。

16年までの5年間で3度の日本一は、地方クラブが起こした奇跡だった。

その黄金時代は6年目を迎えた夏、終わりを告げることになる。

17年は開幕6試合目が初勝利で、わずか2勝で迎えた7月1日、埼玉スタジアムでの浦和戦が、最後の指揮になる。

前半で2失点したが、後半にFW皆川佑介らの3得点で逆転。だが、後半40分に同点を、ロスタイムに勝ち越しを許す、壮絶な逆転負け。4連敗の瞬間、森保の運命は決まった。

当時56歳で広島の社長を務めた織田(おりた)秀和は、試合翌々日の7月3日、広島市内のホテルに森保を呼び出した。強化部長の足立修を含めた3者会談は約30分後、退任という結論を出した。

当時のクラブ発表は、織田の生々しいコメントが添えられている。

「森保監督から成績不振による辞意の申し出がありました。クラブとしては慰留をしましたが、本人の意思が固く、辞任を了承しました。チームのレジェンドともいえる森保監督の辞任を了承することは、苦渋の決断です」