日本代表の「無敗機長」中本洋一さん 運を引き寄せるフライト時の心得とは
無敗機長。サッカー日本代表に幸せを運ぶ、負けないパイロットがいる。日本航空(JAL)の中本洋一機長(61)。この男がオーストラリア・シドニーにいたから、日本は7大会連続7度目のW杯出場を手にしたのかもしれない。
サッカー
南ア大会予選で伝説、今回も
22年3月24日。日本は、運命の日を迎えていた。
カタール大会W杯アジア最終予選アウェー・オーストラリア戦。勝てば、W杯出場決定。負ければ、自力突破が消滅の大一番だった。
午後8時10分(日本時間午後6時10分)開始の一戦。中本機長は、現地にいた。日本へ帰国する代表チャーター便を担当するため、試合当日の朝に南半球へ降り立っていた。
不敗機長が、負の歴史を塗り替えた。これまでW杯予選のアウェー・オーストラリア戦は、3試合0勝1敗2分と未勝利だった。過去の不吉なデータが占うように、後半43分まで0-0だった。
嫌なムードが漂う中、負けない男の心情は違った。中本機長は「引き分けでもいいっていう、そういう空気が流れたと思うんですけど。何か僕は勝ってくれそうな気がした。念は送ってないですけど(笑い)」。
何かが、通じたのかもしれない。直後の後半44分に三笘薫が先制点を決めた。三笘は、ロスタイムにも追加点。日本は、2-0でW杯予選のアウェー・オーストラリア戦に初勝利。中本機長が、歴史的な瞬間の立会人となった。「私はシドニーのホテルでテレビを見ていただけですけど」と言い、頭をかいた。
勝利の興奮冷め止まぬ、シドニー空港。帰国の途に就く前、代表関係者から声を掛けられた。
「やはり中本さんだ。来てくれたんだ」
日本の地に降り立つと、身内や、会社の一部の人からも「やっぱり、中本さんだから勝ったんだね」と言われた。
当の本人は「私は、帰りの便の担当でしたし。本当に普通の一キャプテンですけど」。申し訳なさそうに、謙遜した。
12年ぶりの日本代表の仕事だった。
知る人は、知っている。
舞台は、10年南アフリカW杯のアジア予選。中本機長は、日本代表のチャーター機に乗務していた。
岡田ジャパンの3戦(08年9月6日の3次予選バーレーン戦、同年11月19日の最終予選カタール戦、09年6月6日の最終予選ウズベキスタン戦)で操縦かんを握り、全て白星という結果を運んだ。
不敗神話。うそのような本当の話に、当時の日本サッカー協会(JFA)も黙っていなかった。本大会へ向けて旅立つ機長として、直々のオファーを出したのだ。中本機長は「どういう経緯で、会社に来たかは僕も知らないんですけども」と額の汗を拭いた。
10年5月26日未明。成田空港から、日本代表を乗せて、W杯直前の合宿地・スイス・ザースフェーへ離陸した。そして日本代表は、ベスト16という結果を得た。
異例中とも言えるJFAからの指名だった。通常はJALの「スケジューラー」と呼ばれる係が、パイロットの毎月の予定を組む。日本代表、一般旅客を載せるフライトも同じ業務。区別はないという。
中本機長は「決められたスケジュールで飛ぶのが僕たちの仕事ですので。こういうことは、ないです」と何度も頭を下げた。
今回のオーストラリア・シドニーへの乗務は、JFAからのオファーではなかった。とは言え、12年ぶりの代表のチャーター機。それも、大一番でのフライト。運命は面白いように巡り巡る。