ただ、応援したい…秋田商サッカー部の母、命を削った願い「私を選手権に連れてって」
秋田商サッカー部が全国高校選手権に出場しました。選手たちの食を支えてきた寮母さんは、乳がんと闘いました。手術から2週間後、スタンドで選手を見守っていました。
(2022年1月11日掲載。所属、年齢など当時)
サッカー
寮を新設、普通の主婦が立ち上がる
雲1つない青空だった。昨年12月29日、埼玉・熊谷。時刻は午後4時を回っていた。帰宅を促すアナウンス。スタンドは閑散としてきた。そこにポツリと立ち尽くす女性。誰もいないピッチを見つめていた。
目からこぼれる滴。そっと差し込む夕日が、ぬれた頬を優しく包み込んだ。顔をクシャクシャにして、言葉を紡いだ。
「ここに連れてきてくれた寮生たちとチームの皆さんに感謝です」
赤いTシャツの下に着込んだ厚手の衣類。全摘出手術を受けた左胸を温かく覆っていた。ニット帽からはみ出た髪の毛は、ウィッグだった。
物語は、何年も前にさかのぼる。これは、秋田に住む赤坂郁子さん(40)と、その家族の話。夫二郎さん(40)は柔道整復師であり、介護福祉士でもあり、秋田市内の「てらうち整骨院」を営む院長。2人は、4人の子宝に恵まれた。
大家族のママは家事、育児の傍ら、整骨院をサポートする日々。患者と対話を重ねていくうち、県外から越境入学してきた秋田商サッカー部の選手の存在を知った。
高校生たちは、食への意識が低かった。好き嫌いが多く、偏りがち。小腹が空けばカップ麺をすすり、コンビニで揚げ物ばかり買う現状を知った。
当時は寮がなかった。郁子さんは「治療以外で、何かサポートしてあげたい。サッカーだけに集中させてあげたい」。夫の返事も待たず、「そういう環境をつくってしまえばいい」。普通の主婦が、寮を新設するために立ち上がった。
縁もゆかりもないのに。郁子さんはおろか、身内にも秋田商出身者はいない。4人の子どもも野球、ラグビー…。サッカー経験者はいない。
共通項は、秋田出身というだけ。ただ、秋田商サッカー部を応援したかった。「本当に関係ないんですけどね(笑い)。伝統を守って、走り続ける姿が好きだった」。
利益など、度外視だった。お金はいくら掛かっても、関係なかった。貯金を切り崩し、資金調達に駆け回った。何度も、何度も頭を下げた。だって「苦しむ子どもたちを見たくなかったから」。
栄養満点のご飯を提供するため、スポーツフードスペシャリストの資格を取得。事業計画書とにらめっこ。「後先なんて考えてなかった」。走り始めると、偶然が舞い込んだ。
整骨院と道を挟んだ場所に中古物件を発見。2世帯住宅だった家を改装。20年4月、秋田商サッカー部のための「てらうち整骨院スポーツ寮」が完成した。着想から約3年後のことだった。
寮では異例ともいえる1日3食付き、もちろん治療も。大雪の日は、自転車通学が禁止となる。寮母は、送迎にも車を走らせた。
人はこれほど〝他人〟のために尽くせるのか―。
郁子さんは「いえいえ、普通ですよ」と言った。しばらくすると、考え込んだ。「話そうか迷ったんですけど。本当に、これからという時。さあ、これからという時ですよ」―――。
何故? 聖母のような人にー。
「寮生の目標が、私の目標になりました」
突然だった。昨夏。入浴中のこと。左脇に違和感を覚えた。腫れていた。ピンポン球サイズ。病院に向かった。
「頭が真っ白になった」。7月30日。乳がんだと告知された。
リンパ節への転移があった。内臓への転移こそ免れたが「死への恐怖、自分の人生はこれで終わりなのかと心身共に落ち込みました」。夫と、ただただ泣いた。抱きしめ合った。落ち着くのは一瞬。不安がすぐ襲い掛かった。
不眠、食欲不振。体はみるみるうちに、やせ細っていった。「当たり前の日々も失ってしまうのか。生きた心地がしなかった」。それまで、かぜを引いたこともなかったくらいだから。
「家族や寮生たちの生活はどうなる?」
絶望の淵の中、家族は励まし続けてくれた。寮生は、おいしそうにご飯を食べ、屈託のない笑顔を並べた。
「彼らを支えるのは自分しかいない。選手権に行くという寮生の目標が、私の目標になりました」
苦しい抗がん剤の治療が始まった。すぐに髪は抜け落ち始めた。
「落ち武者みたいでした」と笑えるようになったが、当時はウィッグで隠していた。顔を上げると、目の前には一心不乱にサッカーに打ち込む寮生の姿があった。黙ってはいられなかった。
