【朝乃山を追う:22年名古屋編】心鬼にした“富山のじいじ”に応えられるか

日本相撲協会の新型コロナウイルス感染対策ガイドライン違反による6場所出場停止が明け、7月の名古屋場所で朝乃山(28=高砂)が土俵に帰ってきた。横綱昇進も期待された大関経験者が、約1年ぶりの本場所で西三段目22枚目から再出発。出場停止期間中に祖父、父が亡くなる中、師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)ら周囲に支えられ“みそぎ場所”を7戦全勝で制した。

大相撲

三段目で優勝した朝乃山

三段目で優勝した朝乃山

規則破り6場所出場停止

関取以上が結える大銀杏(おおいちょう)ではなく、幕下以下の若い衆と同じまげ姿。大関時代の紫色の締め込みではなく、若い衆と同じ少し色あせた黒色のまわし。朝乃山は贖罪(しょくざい)の思いを背負って名古屋場所を全うした。

7月11日、2日目に迎えた一番相撲。午後0時半過ぎ。まばらな観客席から、ひときわ大きな拍手が送られた。朝乃山が西の花道に入ってきた。

昨年夏場所11日目の5月19日以来、418日ぶりの本場所の土俵。ようやくたどり着いた復帰の一番。鋭い立ち合いから、一気に剛士丸を寄り切った。

「めっちゃ強かったす。向かい合った時に一番圧(力)みたいなのを感じた。今まで感じたことないほどでした」。そう剛士丸が驚きを交えて振り返ったほどだ。

名古屋場所2日目、剛士丸(左)を攻める朝乃山=2022年7月11日 

名古屋場所2日目、剛士丸(左)を攻める朝乃山=2022年7月11日 

直後のリモート取材で朝乃山は、まっすぐな瞳で「一番辛かったことは不祥事を起こした時に相撲協会にウソをついたことです。ウソをついたことで日本相撲協会や部屋のみんな、ファンの皆さんには応援してもらえないと思っていた。まだ許される訳ではないけど、土俵の上で戦っていく姿を皆さんに見てもらって信用を取り戻していきたいです」。

昨年5月、順風満帆だった土俵人生が暗転した。

世間同様、角界も新型コロナウイルス感染拡大の渦に巻き込まれていた。当時、大関だった朝乃山に外出禁止期間中の度重なる外食が発覚した。

日本相撲協会作成の新型コロナ感染対策のガイドラインに違反。そして同協会の事情聴取に1度は否定し、虚偽報告をした、協会の看板という立場でありながらの愚行に6場所出場停止処分という重い処分が下された。

そこへ追い打ちをかける出来事が起きた。

昨年8月、地元富山で暮らす母佳美さんと無料通話アプリ「LINE」で連絡を取り合っている時に、父靖さんが倒れたとの一報が入った。そして8月16日、急性心原性肺水腫により64歳の若さで亡くなった。

協会の許可を得て地元に戻り、父のなきがらと対面した。感情を抑えることはできなかった。その2カ月前の6月には祖父を亡くしていただけに、「自分のせいだ」と責め続けた。「もう相撲はできない」。角界から去ろうと考えた。

帰京後、師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)に自身の身の振り方を相談した。「辛抱して頑張ろう。家族のためにも頑張ろう」。強く引き留められた。母佳美さんも同じ気持ちだった。「やっぱり相撲は辞められない。相撲から逃げない。父のためにもはい上がってやる」と奮起した。 新十両昇進を機に富山商高時代の恩師、浦山英樹さん(故人)からもらったしこ名「朝乃山英樹」。だが大事にしてきた下の名前を、復帰する時には父が名付けてくれた本名の「広暉」に改名すると決めた。

幕下に陥落した3月の春場所からは、他の若い衆と同様にちゃんこ番や掃除などの雑用係を自らこなした。大関経験者というおごりは打ち消した。