【闘魂の実像:新日本編8】平社員が社長を殴れるのがプロレス…造反許す〈全45回〉

アントニオ猪木さんが2022年10月1日午前7時40分、心不全のため都内の自宅で亡くなった。79歳だった。日刊スポーツでは06年に行った計8時間に及ぶロングインタビューをもとに45回の連載を掲載した。そこで綴られた波瀾万丈の人生を「闘魂の実像」と題して再録する。第3章「新日本プロレス編」の第8回。(敬称略)

プロレス

〈第3章・第8回(全45回)〉

アントニオ猪木が創設した新日本プロレスは、2005年末から激震が続いている。経営難によるリストラ策で、06年1月には大量11人の選手が退団した。6月には団体旗揚げから猪木を支えてきた藤波辰爾まで離脱した。その報告はすぐに猪木にも届いた。

スポーツ

田口潤Jun Taguchi

入社以来、スポーツ部では、五輪競技、相撲、サッカー、プロレス、格闘技、ボクシング、ゴルフを担当。五輪は98年長野、04年アテネ、14年ソチ、16年リオデジャネイロ大会を取材。
プロレス取材は05年で、新日本の暗黒時代だった。