【闘魂の実像:新日本編11】ソ連にも響いた猪木流プロレス哲学4本柱〈全45回〉

アントニオ猪木さんが2022年10月1日午前7時40分、心不全のため都内の自宅で亡くなった。79歳だった。日刊スポーツでは06年に行った計8時間に及ぶロングインタビューをもとに45回の連載を掲載した。そこで綴られた波瀾万丈の人生を「闘魂の実像」と題して再録する。第3章「新日本プロレス編」の第11回。(敬称略)

プロレス

〈第3章・第11回(全45回)〉

1989年(平元)4月24日、新日本が世界のスポーツ界に歴史を刻んだ。プロレス界初の東京ドーム大会を開催。そこに世界最強といわれていたソ連(現ロシア)のアマレス、柔道選手を参戦させた。当時、社会主義国家のソ連のアマチュア選手を、プロスポーツの興行に出場させることは不可能と思われていた。その常識をアントニオ猪木は覆し、世界を驚かせた。

スポーツ

田口潤Jun Taguchi

入社以来、スポーツ部では、五輪競技、相撲、サッカー、プロレス、格闘技、ボクシング、ゴルフを担当。五輪は98年長野、04年アテネ、14年ソチ、16年リオデジャネイロ大会を取材。
プロレス取材は05年で、新日本の暗黒時代だった。