【闘魂の実像:新日本編14】「統率力がない だから新日本は堕落した」〈全45回〉

アントニオ猪木さんが2022年10月1日午前7時40分、心不全のため都内の自宅で亡くなった。79歳だった。日刊スポーツでは06年に行った計8時間に及ぶロングインタビューをもとに45回の連載を掲載した。そこで綴られた波瀾万丈の人生を「闘魂の実像」と題して再録する。第3章「新日本プロレス編」の第14回。(敬称略)

プロレス

〈第3章・第14回(全45回)〉

21世紀に突入してプロレス人気は急落した。アントニオ猪木が創設した新日本プロレスも例外ではなかった。90年代には蝶野、橋本、武藤の闘魂三銃士ら第3世代を中心に、最大勢力を誇ったが人気は長く続かなかった。K-1やPRIDEの台頭。長州力、橋本、武藤ら主力選手の離脱などがその要因といわれる。しかし、猪木は低迷の最大の原因は、リングの中にあると指摘する。

スポーツ

田口潤Jun Taguchi

入社以来、スポーツ部では、五輪競技、相撲、サッカー、プロレス、格闘技、ボクシング、ゴルフを担当。五輪は98年長野、04年アテネ、14年ソチ、16年リオデジャネイロ大会を取材。
プロレス取材は05年で、新日本の暗黒時代だった。