【闘魂の実像】猪木に芽生えたライバルへの嫉妬心と力道山への不信感〈馬場編:2〉

アントニオ猪木さんが2022年10月1日午前7時40分、心不全のため都内の自宅で亡くなった。79歳だった。日刊スポーツでは06年に行った計8時間に及ぶロングインタビューをもとに45回の連載を掲載した。そこで綴られた波瀾万丈の人生を「闘魂の実像」と題して再録する。第1章「ジャイアント馬場編」の第2回。(敬称略)

プロレス

〈第1章・第2回(全45回連載)〉

1960年(昭35)9月30日。この日が宿命のライバルの出発点になった。東京・台東区体育館で、入門半年を経た猪木と馬場は同日デビューした。2人の明暗はくっきりと分かれた。馬場は道場で最も弱かった桂浜から5分15秒、また裂きでギブアップを奪った。若手最強だった大木金太郎と対戦した猪木は、7分9秒、逆腕固めで敗れた。当時の悔しさを猪木は今も忘れていない。

スポーツ

田口潤Jun Taguchi

入社以来、スポーツ部では、五輪競技、相撲、サッカー、プロレス、格闘技、ボクシング、ゴルフを担当。五輪は98年長野、04年アテネ、14年ソチ、16年リオデジャネイロ大会を取材。
プロレス取材は05年で、新日本の暗黒時代だった。