【闘魂の実像:全45回】馬場を立ててエゴを隠した猪木、それにも限界が〈馬場編9〉

アントニオ猪木さんが2022年10月1日午前7時40分、心不全のため都内の自宅で亡くなった。79歳だった。日刊スポーツでは06年に行った計8時間に及ぶロングインタビューをもとに45回の連載を掲載した。そこで綴られた波瀾万丈の人生を「闘魂の実像」と題して再録する。第1章「ジャイアント馬場編」の第9回。(敬称略)

プロレス

〈第1章・第9回(全45回)〉

アントニオ猪木の日本プロレス復帰とともに、力道山全盛時以来のプロレスブームが到来した。67年(昭42)5月、猪木はジャイアント馬場と初めてタッグを組んだ。60年9月の同日デビューから6年8カ月。紆余(うよ)曲折を経て、宿命のライバルはついにリングの上で合体した。当時、馬場29歳、猪木24歳。若さと強さを備えた最強コンビは「BI砲」として爆発的人気となった。同8月の大阪球場大会には2万人の大観衆を集めた。

スポーツ

田口潤Jun Taguchi

入社以来、スポーツ部では、五輪競技、相撲、サッカー、プロレス、格闘技、ボクシング、ゴルフを担当。五輪は98年長野、04年アテネ、14年ソチ、16年リオデジャネイロ大会を取材。
プロレス取材は05年で、新日本の暗黒時代だった。