【闘魂の実像:全45回】団体の社員まで猪木派と馬場派に〈馬場編10〉

アントニオ猪木さんが2022年10月1日午前7時40分、心不全のため都内の自宅で亡くなった。79歳だった。日刊スポーツでは06年に行った計8時間に及ぶロングインタビューをもとに45回の連載を掲載した。そこで綴られた波瀾万丈の人生を「闘魂の実像」と題して再録する。第1章「ジャイアント馬場編」の第10回。(敬称略)

プロレス

〈第1章・第10回(全45回)〉

アントニオ猪木とジャイアント馬場。切磋琢磨(せっさたくま)したライバル関係は、いつ敵対関係へと転化したのか。猪木は71年(昭46)春のワールドリーグ戦だったと明言する。馬場、猪木、ザ・デストロイヤー、ブッチャーの4人が決勝に残った。当時、猪木は「馬場との直接対決」を切望していた。その野望を実現する絶好のチャンスだった。

スポーツ

田口潤Jun Taguchi

入社以来、スポーツ部では、五輪競技、相撲、サッカー、プロレス、格闘技、ボクシング、ゴルフを担当。五輪は98年長野、04年アテネ、14年ソチ、16年リオデジャネイロ大会を取材。
プロレス取材は05年で、新日本の暗黒時代だった。