【闘魂の実像:全45回】力道山十三回忌に新日VS全日の興行戦争〈馬場編13〉

アントニオ猪木さんが2022年10月1日午前7時40分、心不全のため都内の自宅で亡くなった。79歳だった。日刊スポーツでは06年に行った計8時間に及ぶロングインタビューをもとに45回の連載を掲載した。そこで綴られた波瀾万丈の人生を「闘魂の実像」と題して再録する。第1章「ジャイアント馬場編」の第13回。(敬称略)

プロレス

〈第1章・第13回(全45回)〉

アントニオ猪木が理想を求めて新日本プロレスを旗揚げした。その4カ月後、ジャイアント馬場も日本プロレスを退団して全日本プロレスを立ち上げた。72年7月のことである。ここから日本のプロレス界は四半世紀に及ぶ2大団体時代へと突入した。2人の宿命のライバルは、敵対関係へと対立を深めた。

スポーツ

田口潤Jun Taguchi

入社以来、スポーツ部では、五輪競技、相撲、サッカー、プロレス、格闘技、ボクシング、ゴルフを担当。五輪は98年長野、04年アテネ、14年ソチ、16年リオデジャネイロ大会を取材。
プロレス取材は05年で、新日本の暗黒時代だった。