トラック運転のラガーが挑むパリ五輪代表の道 神鋼退社後、無所属の2年耐え夢を追う

安定した仕事を捨て、夢を選んだ。ただ、コロナ禍が歩む道を暗闇にする。ラグビーの名門・神戸製鋼を退社し、2年間の無所属の間は時給1000円のアルバイトも経験した。7人制日本代表として目指すは24年パリ五輪。トラックで配達をしながら「1%の可能性」に人生を懸ける男の物語。

ラグビー

2018年、神戸製鋼の一員としてトップリーグ優勝(左が森田)

2018年、神戸製鋼の一員としてトップリーグ優勝(左が森田)

「1%の可能性」に懸けた森田慎也の物語

2020年の春-。

世の中の動きは突然、止まった。

新型コロナウイルスの感染拡大。

3月に東京オリンピックの延期が決まり、4月になると緊急事態宣言は全国に及んだ。

人と人との距離が遠ざかる。

デパートや飲食店は休業になり、街に人はいなくなった。

世界中は今まで経験したことのない時を過ごしていた。

いつから学校は始まるのか。

職場に人は戻るのか。

先は見えなくなった。

1人のラガーが、所属していた会社を退職したのはそんな時期だった。

神戸製鋼(現コベルコ神戸スティーラーズ)のWTB森田慎也。

彼はプロ契約ではなく、社員としてプレーする選手だった。

例えユニホームを脱いだとしても、仕事を続けている限り、生活は保証される。

しかし、大企業の安定よりも夢を選んだ。

世の中がコロナ禍という長いトンネルの入り口にいた、まさにそんな頃に…。

「勉強して簡単に入れるような企業じゃないのに、もったいない」

「アホやな」

周囲から伝え聞く声。

ただ、何を言われようと、ラグビーへの思い、いつか日本の代表選手になりたいという情熱が失われることはなかった。

「諦めきれなかったです。

もう1回挑戦したいという気持ちは、どれだけ考えても消えなかった」

森田慎也(もりた・しんや)

1994年(平6)10月15日、京都府生まれ。小学2年から6つ上の兄・拓実さんの影響で洛西ラグビースクールで競技を始める。大原野中では中1の時に部員2人の合同チーム。2年から西陵中に転校し近畿大会出場。公立の洛北高では花園出場はないが高校日本代表入りした。京産大では1年から公式戦に出場し、4年時は全国大学選手権ベスト8。関西学生代表、ジュニアジャパン。170センチ、79キロ。

神戸製鋼時代に同僚だった(左から)ティモシー・ラファエレ、チャリー・ローレンス、森田

神戸製鋼時代に同僚だった(左から)ティモシー・ラファエレ、チャリー・ローレンス、森田

18年セブンス代表入りも東京落選、チームでも出番つかめず

神戸製鋼に入社したのは2017年の春だった。

翌年にオールブラックス(ニュージーランド代表)の英雄でもあるSOダン・カーターが加入してトップリーグを制覇する。

チームが常勝軍団復活への道を歩む、そんなタイミングと重なった。

「1年目にジュニア・ジャパンに選ばれてフィジー遠征に行ったんです。

そこで手首を骨折して帰ってきた。

手術とリハビリに時間がかかってしまいました。

同期は既に試合に出ていたから『早く出たい』と焦っていた。

やっと治ってからも、長い間ラグビーから離れていたので思うようなプレーができず、空回りしたまま1年目が終わってしまった。

2年目、状態が良くなってきた時にセブンス(7人制)の日本代表から声をかけて頂いたんです。

神戸で試合に出るのが夢だったので、迷いました。

でも、日本を代表することも、なかなかできることではない。

みなさんに『行ってこいよ!』と声をかけて頂いて、半年間はセブンスの方の代表に専念させて頂きました」

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。