【セカンドキャリア】夢も目的もなかった…ある代表級Jリーガー 道が開けたきっかけ
新年度はスタートの季節。
サッカー、J1の強豪・川崎フロンターレなどでプレーし、21年3月に引退した武岡優斗氏(36)の歩みからは、学ぶべき点が多い。
引退後に指導者となり、引き続きサッカーの世界にいる多くの元選手とは違い、武岡氏は、再生医療の現場でセカンドキャリアを歩んでいる。ただ、サッカーとの縁が第2の人生でも、大きな意味を持つことになった。
当初はサッカー界から完全に離れる決意で再生医療関連事業を展開する「セルソース株式会社(本社・東京都渋谷区)」に入社したが、縁は不思議なもの。武岡氏が入社した時期から、同社Jリーグなどプロスポーツチームとメディカルサポート契約を結び始め、現在も導かれるようにサッカー界と関わっている。
引退から2年。武岡氏に、引退から現在までの軌跡、新しい世界で経験した苦労などを聞いた。
サッカー
〈川崎FなどJで12シーズン、21年引退の武岡優斗氏〉
「再生医療」に就職、ケガに泣かされた超攻撃的SB
東京・渋谷区のオフィスを訪ねると、ジャケット姿の武岡氏が出迎えてくれた。体形は現役時代と変わらない。
「よく言われるんです。現役の時以上に、奥さんに食事を管理してもらってます」と笑った。
これまでは、サッカーの現場で記者と選手の立場で話していただけに、会社のオフィスでの再会は不思議な感じがした。
名刺を交換すると「経営企画部 セルソース バイオセラピー コンダクター」と記されていた。
主に、治癒促進の効果が期待されるセルソースの技術をJクラブなどアスリートにプレゼンテーションする営業を担っている。
このほど、古巣の川崎Fがセルソースとメディカルサポート契約を締結したが、これは、武岡氏の力が大きかった。
川崎F担当時代に武岡氏を取材していた。最も印象に残っているのは2015年の活躍だ。超攻撃的サイドバックで、疲れ知らずの上下運動と1対1の強さ、スピードに乗った仕掛けでサポーターを魅了。日本代表候補にも名を連ねた。
同時に、度重なる負傷に泣かされた姿も見てきた。川崎F時代に2度、左膝の手術を受け長期離脱。横浜FC在籍時にも右膝を2回手術しており、現役の間に計4度、膝の手術を受けたことになる。
引退後に選んだ道は、指導者ではなく再生医療だった。
なぜ、この道を選んだのか?
武岡優斗(たけおか・ゆうと)
1986年(昭61)6月24日、京都市生まれ。国士舘大を経て09年に当時J2の鳥栖に加入。大卒1年目で40試合に出場した。10年にJ2横浜FCへ移籍。10年は21試合に出場も、右膝の手術で11年は出場はなかった。14年に川崎Fへ加入。14年は4試合の出場にとどまったが、15年に30試合に出場し日本代表の東アジア杯予備登録メンバーに入る。17年にリーグ初優勝を経験。19年にJ2甲府、20年にJ2山口でプレーし引退。J1通算60試合1得点、J2通算179試合14得点。
武岡氏は言う。
「指導者は現役の時から興味がなくて。(選手を)やめる時も、やりたいこと、興味があることの軸が何もなくて。どうしよう? と。その状態で引退したんです」。
明確な道が見えないままでの引退だった。
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