偏差値75!天王寺高ラグビー部が抱く夢~2人の主将は高校代表候補と医学部志望

創部102年の歴史を誇る天王寺高校ラグビー部が、復活への足がかりをつかむ。大阪屈指の進学校で偏差値70超の名門は戦中、戦後と2度の全国制覇を誇る。2人体制の主将は高校日本代表候補と、国立大医学部志望。文武両道を貫きながら花園を目指す伝統校に迫った。(敬称略)

ラグビー

2度の全国制覇
目指すは花園

真夏の花園ラグビー場に強い日差しが照りつけた。

水分補給の際に円陣を組むと、主将を中心に声を掛け合う。

短い時間でも集中し、少しでも自分たちの成長につなげようとする姿勢を見ることができた。

すぐにグラウンドへ散っていく。

バックス(BK)はコンビネーション、フォワード(FW)はスクラムなどのセットプレー。そしてコンタクトを織り交ぜながらボールをつないでいく。

試合を想定した15対15まで。最高気温35・6度の中で行われた2時間の合同練習は濃密なものだった。

リーグワンの花園近鉄ライナーズが花園の第2グラウンドを4日間開放して高校の練習会が行われた。部員が少なく普段は練習内容が限られる学校が集まり、より実戦的なメニューをこなすのが狙い。

7月23日の初日に参加したのが天王寺、日新、東住吉の3校。

7月23日に花園で合同練習をしたのは天王寺と日新、東住吉。花園近鉄ライナーズの現役選手も指導にあたった

7月23日に花園で合同練習をしたのは天王寺と日新、東住吉。花園近鉄ライナーズの現役選手も指導にあたった

大阪屈指の進学校で知られる天王寺は、ラグビー部が大阪で最も長い歴史がある。

1922年(大11)創部。天王寺中時代の1942年度(昭17)に全国高校ラグビー大会を制した。

翌年から第2次世界大戦の戦況悪化のため3年間、大会は中断する。

戦後もラグビーに夢を求めた彼らは、1950年度(昭25)に再び全国制覇を達成。

近年はスポーツの強化に特化する私立校が増える一方、部員数の減少で試合が組めない時期もあった。

ただ、創部102年を迎えた今年は、復活の兆し、手応えをつかみつつある。

共同主将の1人であるプロップの上杉悠太は、高校日本代表候補のメンバー入りを果たした。

身長180センチ、体重115キロの恵まれた体格。合同練習でもその存在感は際立っていた。

もう1人の主将、スタンドオフ(SO)の天久(あめく)太陽は、医学部を志望しながら関東対抗戦でラグビーを続けようとしている。

文武両道を貫く彼らに目標を問うと、真剣なまなざしでこう答えたのである。

「花園を目指しています」-

激戦区大阪において、その道は決して簡単ではないだろう。

この四半世紀を調べても、全国高校ラグビー大会において大阪の代表が全国制覇を達成したのは25年で実に13回。その全てが私立校である。

大阪から花園に出るということはすなわち、日本一を狙えるだけの力を要しているということになる。

古豪復活へ-。

彼らの思いを、ここに描く。

卒業生に開高健、岡ちゃん

◆大阪府立天王寺高校 1896年(明29)に大阪府第5尋常中学校として創立。1901年に天王寺中に改称。45年には大阪大空襲で工作室と倉庫、食堂を焼失。戦後すぐに天王寺高に改称。23年度の進路状況は東大6人、京大51人、大阪大45人、神戸大32人、大阪公立大66人の合格者を出している(同校ホームページによる)。主な卒業生に芥川賞作家の開高健、サッカー元日本代表監督の岡田武史、ラグビー元同大監督の岡仁詩らがいる。所在地は大阪市阿倍野区。立川猛士校長。

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スポーツ

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。