【名将列伝】伝統校を追い続けた半世紀、今も生きる教え~京産大ラグビー元監督 大西健
大学ラグビーにおいて明大を67年率いた北島忠治氏に続き、第一線で長く指導にあたったのが京産大の大西健監督(現相談役)だった。2019年度を最後に47年の監督人生に終止符を打ち、今はグラウンドに顔を出すことも少なくなった。「歴史が浅くても伝統校になれる」「誇りを持とう」―。約半世紀もの間、伝えてきた教えを描く。【名将列伝・最終回】
ラグビー
〈名将列伝・最終回〉
2005年12月18日瑞穂、大学選手権・京産大ー慶大 スクラムから山下裕史(中央)がトライを決め喜ぶ京産大フィフティーン。「歴史は浅くても伝統校に追いつける」―。学生たちに目標を植えつけてきたのが大西監督だった
京セラ稲盛さんの言葉
監督人生に「悔いなし」
京都の梅の花が見頃になった3月、自宅を訪ねた。
京都市の西端にある閑静な住宅街。近くの竹林公園には最近、外国人観光客が訪れるようになったという。
半世紀近くも愛情を注いできたラグビー部の様子は気になるが、ここ数年は公式戦以外はほとんどグラウンドに顔を出すことはなくなった。
病院に通いがてら、大学から近い京都市営地下鉄の北山駅周辺を散歩する。
すぐ側にある稲盛記念会館には、京セラを創業した亡き稲盛和夫さんの出版物などが展示されている。
そこに、こんな言葉がある。
「大半の人は『好きでもない仕事』に就く」―
時折、小鳥のさえずりが聞こえる。
「好きでなければどうしたらいいと思う?」
そう語りかけてきた。
「それが稲盛さんが教えてくれていること。好きでなくても、その仕事に没頭することなんです」
そして、教え子であるラグビー元日本代表の広瀬佳司(現京産大監督)や大畑大介(顔写真)、一昨年度に主将だった三木皓正(現トヨタ)のことを振り返った。
「大学でもそう。広瀬や大畑は同志社に憧れがあった。三木は慶応」
三木の父は京産大のフォワードとして1990年度の全国大学選手権で準決勝まで進み、明大と激闘を繰り広げた人である。
その次男坊は幼い頃から知っていた。
「もし慶応がダメだったら、うちでやったらいい」
高校3年だった少年にそう声をかけた。
受験に失敗し、いよいよ来るものだと思っていたら「もう1度、秋入試で(慶大を)受けたい」となった。
それほど伝統校への憧れは強かった。
最終的に彼は父と同じ道を歩む決断をする。
ただ、希望の大学でプレーしたい思いはすぐには消えなかった。
「1年間は悶々(もんもん)としているように見えた。何で慶応に行かんかったんやろう―。そんな思いをずっと引きずりながら、それでも必死に練習をしたんです。今の自分を信じて、全力を尽くす―。言い訳なしの最大の努力をしていた」
1年前、卒業する時に彼は部員の前で語りかけた。
「ここに来たおかげで、ラグビーに没頭することができました。京産大に来て良かった」
それは、胸に響いた。
「まさに、稲盛さんの言葉やった。三木がそう言ったんです」
47年間の監督人生。それは日本一という夢を追い続けた日々でもあった。
いまだ大学選手権優勝にたどり着いていない。
それでも、こう言うのである。
「1つの悔いもない」
今から四半世紀前に頂いた言葉は忘れられない。
それを実現したいと思い、物書きを続けてきた。
最後の記事は大学ラグビー界における新興校が、いつか伝統校になろうともがいてきた軌跡を描く。
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