【ブルーペナント〈26〉】鈴木彩艶 日の丸の重み実感「経験」ではなく「勝負」へ‼
サッカーワールドカップ(W杯)北中米大会に向かう日本代表戦士の源流を探る連載「ブルーペナント」。パルマのGK鈴木彩艶(23)は小学5年から浦和で育ち、トップ選手にのぼりつめました。ジュニア時代から指導した工藤輝央氏(46=現WEリーグ三菱重工浦和スポーツダイレクター)に話を聞きました。
サッカー
◆鈴木彩艶(すずき・ざいおん)2002年(平14)8月21日、米国生まれ。幼稚園でサッカーを始め、小5で浦和ジュニア入り。ジュニアユース、ユースを経て19年にクラブ最年少16歳5カ月11日でプロ契約を締結。21年にトップチームに昇格し、5月9日の仙台戦でJ1デビュー。23年8月にベルギー1部のシントトロイデンに期限付き移籍。24年7月にセリエAのパルマに完全移籍。21年東京五輪代表。22年7月19日の香港戦で日本代表デビュー。父はガーナ人、母は日本人。190センチ、100キロ。
◆工藤輝央(くどう・てるひさ)1980年(昭55)1月17日生まれ、東京都出身。現役時代は読売の下部組織でプレー。00年に広島朝鮮学園でGKコーチを務め、作陽高、浦和レディースなどを経て12年に浦和下部組織のコーチに就任。ジュニアでは13年からコーチ、15年から監督。ジュニアユース監督などを歴任し19年からトップチームのコーチ。岐阜、仙台でコーチを経て、24年から女子WEリーグ三菱重工浦和のスポーツダイレクター。
「ドッジボールがうまい子、くらいな感じ」
浦和から世界へ、を体現していた。4月下旬の取材。工藤氏は、2週間前に会った教え子に抱いた尊敬の念を明かした。
「今までにない感覚でした。異国の地で1人でいて。スタジアムで試合を見て、別の人に見えました。すごくたくましいなと思いました」
4月12日、パルマの本拠地で行われたナポリ戦を現地で観戦。世界トップのセリエAで活躍する鈴木に、以前とは違う感情を持った。
ただピッチを離れれば「全く変わらない。残念ながら、変わりませんでした」と笑った。日本代表の内面は、出会った当初から不変だった。
出会いは約15年前。工藤氏が指導していた少年団の選抜チームに、2つ上の鈴木の兄が在籍していた。練習場の公園に現れたのは、キーパーグローブを手にはめて、ボールを持つ男の子。その少年こそが、小学3年の鈴木だった。
「ドッジボールがうまい子、くらいな感じ。ちょっと身長が高くて、少しキャッチがうまい。最初はそれくらいの感じでしか見ていませんでした」
コンクリートの上でボールを蹴り、キャッチングを指導。飛び抜けた第一印象ではなかった。
2年後、関係性は濃いものになった。小5に上がるタイミングで、浦和のジュニアを立ち上げることになった。チームを結成し、セレクションを実施することを浦和・駒場のサブグラウンドで伝えた。
その場で「絶対出します」と宣言していた通りに申し込み、選考の場に現れた。名門の下部組織に入ろうと、各地から猛者が集う。今でこそ190センチになった鈴木は、ここでも別格ではなかった。
「体も大きい方ではあったし、同じ学年の子の中では目立ちました。でも、もっとデカい子もいたので、そこまで飛び抜けていたわけではありませんでした」
それでも光るものはあった。“即席チーム”の中で、圧倒的な存在感を示していた。
「キャラクターが目立っていました。セレクションで初めて会った子にも指示を出していました。チームを作って、誰がどのポジションをやるとかも仕切っていました。リーダーシップがありました」。もちろん、合格だった。
風呂上がりに毎日30分ストレッチ
ゴールを守る能力は優れていたが、まだ粗削りな部分も多かった。
「リフティングは全然できなくて、ボールも投げられませんでした。スローイングで30メートルもちゃんとボールが来なくて。『彩艶投げて』と言ったら、ボールがあっちこっちにいく感じ。距離は投げられるけど、コントロールが定まりませんでした」
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