競輪担当をやりながら中央競馬の予想やボートのサポートもしている私のように、競輪選手にも競馬やボート好きが多い。

そんな中、好きの上をいく選手が垣外中(かいとなか)勝哉(50=大阪)だ。中央競馬の予想をブログで発信。競走馬を自転車に例えるなど、内容も独自色が光っている。

もともと競馬は好きだった。地元近くの笠松競馬からスタートし、89年シャダイカグラの桜花賞からは中央競馬も見るように。大きな転換期は35歳だった。「左膝を悪くして入院、手術しました。医者からは選手としては復帰できないかも、と…」。選手生命の危機という絶望の中、当時中部の先輩だった山田裕仁が粋なプレゼントをくれた。「お見舞いの中に北海道への往復航空券が入っていて、山田さんと牧場を回りました。そこで『馬主をやらないか』と。一晩考えて、翌日馬を1頭買いました」。

その馬はビスカスラインと命名されて大井競馬でデビューし、4勝を挙げた。11年6月には山田裕仁のキンセイフレアとワンツーの“ライン決着”。競馬担当だった記者がコラムで紹介した記事は「まだ大事に持ってますよ」と笑った。そのビスカスラインを眺めるうちに、その馬体にも興味を持ち始めた。

次の出会いは3、4年前。「大阪・梅田にある行きつけの立ち飲み店『奴(やっこ)』で、競馬の師匠になる赤木一騎さん(JRDB関西パドック担当)を紹介されました」。もともと赤木氏の著書を読んでいたこと、次にその店に行った際に偶然再会して意気投合したことで、馬体についての疑問や予想記者への興味を赤木氏に話した。すると「『パドックにいるからおいで』と言われて。そこから2カ月間は馬の爪と蹄鉄(ていてつ)だけ見てました」。

馬体を見て覚えるにつれ、慣れ親しんだ自転車との共通点に気づいた。「胴が長い馬は長距離向き、自転車も長距離はホイールベースが長いんです」。そこから馬体と自転車をシンクロさせる今の予想スタイルを確立した。その後に立ち上げたブログは、10月に丸3年を迎える。

「自分の競馬新聞を作るのが夢」と話す垣外中。とはいえ、まだまだ現役の競輪選手。01年1月の広島で、S級初優勝をG3で決めた際に現地で取材した記者としては、少しでも長く二刀流を続けてくれることを願っている。