山本です。函館ナイターG3から、青森日刊スポーツ杯のナイターへと、北日本の夜の取材(深い意味はありません)を終えました。

函館山から撮影した函館の夜景
函館山から撮影した函館の夜景
ナイター開催時は青森競輪場内に展示されているねぶたもライトアップされます
ナイター開催時は青森競輪場内に展示されているねぶたもライトアップされます

 青森でも場外発売されていた取手トラック支援(G3)は、マティエス・ブフリが優勝。こちら青森ではイギリスの若手ジョセフ・トルーマンが決勝に進出しました。トルーマンは決勝のレースを見て「ブフリは強すぎ」と驚いていました。

初日大敗に悔しそうなジョセフ・トルーマン。日刊スポーツ杯が初優勝なら、将来活躍したときに自慢できそうですね
初日大敗に悔しそうなジョセフ・トルーマン。日刊スポーツ杯が初優勝なら、将来活躍したときに自慢できそうですね

 そのトルーマンが、決勝へ向けた取材を終えて一段落したところに、再びふらりと登場。すると「ワタシ、スコシ、ツカレテマス。デモ、アシタ、ガンバリマス。OK?」とニヤリ。通訳の方に教わった日本語を試したかったのでしょう。「ベリーグッド」と返すと満足そうでした。宿舎の食堂に向かう廊下では、伊藤信ら大阪勢に同じテーブルに誘われていました。「いつか、日本の競輪に呼ばれるのが夢だった」と語っていた21歳。「自分が一番若いから先行します」という、暗黙のルールも違和感なく理解しているようでした。

信条は「ネバーギブアップ」と笑うトマシュ・バベク。写真は予選打鐘前カマシで完勝した直後
信条は「ネバーギブアップ」と笑うトマシュ・バベク。写真は予選打鐘前カマシで完勝した直後

 トマシュ・バベクは準決で敗退となりましたが「私の信条はネバーギブアップ」だと言っていました。

 バベクは我々の前でおもむろにユニホームをまくり上げました。左胸にあったのは、横一文字に刻まれた大きな手術痕でした。

 バベク 7年前、私は交通事故にあいました。車にひかれ、生死の境をさまよって、回復するまでには3年もかかった。右足の大腿(だいたい)骨は膝の上あたりから飛び出してしまい、治るまで1年もかかった。肺も破裂。それを治すためにした手術の痕です。それでも、私は復帰してヨーロッパ王者やW杯チャンピオンになれました。人生に困難はつきもの。だから私は諦めない。

 競技どころか、生命の危機を乗り越え、世界のトップレーサーとして今、日本の競輪を走っています。

 短期登録の選手たちは男女とも、いずれ東京五輪でメダルを争う実力者たちです。陸上でたとえれば、ウサイン・ボルトが走っているようなものです。そして彼らが日本の文化やルールを理解し、競輪も理解しようと努力しています。少なくとも、世界的名選手たちを間近に取材できていることは奇跡的です。もっと、人となりなどをお伝えできるように努力しないといけない、と決意しつつ、地酒で眠りについた青森の夜でした。【山本幸史】