千葉G3in松戸の前検日にリラックスした表情を見せる村上義弘(撮影・野島成浩)
千葉G3in松戸の前検日にリラックスした表情を見せる村上義弘(撮影・野島成浩)

今年のG1は競輪祭(11月20日開幕)を残すのみとなり、12月30日に静岡競輪場で行われるKEIRINグランプリ(GP)のメンバーがおおよそ決まってきた。

G1を制した新田祐大や三谷竜生、脇本雄太の他に、賞金ランク上位の平原康多と村上義弘、浅井康太、村上博幸にもほぼ出場当確のランプがともる。今回は、神山雄一郎の最多16回に次ぐ、11回目の出場となる村上義弘が主人公。静岡GPへの思いを聞いた。

初日特選を4着で終えるとすぐにフレーム交換に取り掛かる(撮影・野島成浩)
初日特選を4着で終えるとすぐにフレーム交換に取り掛かる(撮影・野島成浩)

それは千葉G3in松戸での出来事。話題が決勝が控えた千葉G3から静岡GPに移ると、引き締めていた表情がたちまち崩れた。「僕は静岡県には思い入れがある」と切り出し、「静岡では富士山が見えるでしょ。京都から新幹線で移動するといつも、富士山をスマホで撮って家族にメールする。山に雲がかかっていたり、雨ではっきりしなくても必ず、する」。

そびえ立つ富士山を見て心を震わせる村上にとって、静岡県というワードは耳に心地よく響く。高校の頃、後に師匠のような存在になる松本整氏(45期・引退)に出会った。デビュー前から練習に付き添い、73期生として訓練を始める前から、伊豆市の競輪学校を訪れていた。松本氏を思い起こすと、しごかれたつらさや、先行して松本氏のタイトル獲得に貢献したり、振り切ってゴールしたときの喜びがよみがえる。「松本さんと付き合いが続いていて、奥さまにもかわいがってもらっている。奥さまの実家が伊豆長岡のおすし屋さん。静岡や伊東を走るときや、競輪学校で練習すると必ずお邪魔する。応援にも来てもらうし、静岡と伊東ではいつもより力が入る。成績もいいでしょ」。バンクへの先入観を持たない勝負師が、珍しく相性の良さを話した。静岡への思いはかなりのものだ。

快勝した2予を記者とともに振り返る(撮影・野島成浩)
快勝した2予を記者とともに振り返る(撮影・野島成浩)

「いつも人生を懸けて、これが最後だと思って走ってきた。去年は出られなかった。それが今年は出られる。それも静岡。頑張りたい」。

過去10度出場したGPでは必ず見せ場を作ってきた。「特に思い出すのは初出場で松本さんと走った02年と、弟の博幸と出た10年。今年は博幸と3度目になる。前の2回とは、2人とも置かれている立場がちがう。どうなるかな」。02年は先行して3着に敗れ、10年は博幸が戴冠。初Vは、直前に骨折した肋骨(ろっこつ)の痛みを抑え、単騎まくりを決めた12年。16年は稲垣裕之を目標にして勝った。落車して、自転車をひきずりながらゴールしたこともある。2着と6着を除く着順を経験した。3度目の戴冠なら、井上茂徳氏と山田裕仁氏が持つGP最多V記録に並ぶ。

今年は現時点で近畿勢から4人が出場する可能性が高い。同地区から最多4人が出場するのは、北日本勢が果たした04年立川大会以来のこと。その北日本勢は二手に分かれて戦った。「連係するかとか、どう並ぶとかはみんなで話してから。みんなの思いを聞いてから」。そう前置きして、「求めるものは1番になること。そう1着、日本一」。

願いをかなえるためには、すなわち、今年のG1戦線を席巻する脇本雄太に先着しなくてはならない。「脇本とは年齢が14歳か15歳か離れていて、なんか自分の子どもみたいに思えちゃう。世間知らずだった脇本が立派になって、今ではオリンピックでメダルを狙う。夢を託す存在になった」。

脇本対策がぼんやりしているのは、自身の状態アップを優先すべきだから。9月高知G2決勝で落車した影響が残り、優勝した千葉G3では開催中にフレームを換えるなど試行錯誤した。そもそも、夏場を境に脇本に先着していない事実もある。

千葉G3決勝のスタート直後の1センター。黒色ジャージー2番車で挑む村上義弘は正攻法に構え、最終周回で単騎まくりを決めた(撮影・野島成浩)
千葉G3決勝のスタート直後の1センター。黒色ジャージー2番車で挑む村上義弘は正攻法に構え、最終周回で単騎まくりを決めた(撮影・野島成浩)
千葉G3in松戸を制し、賞金ランク上位として2年ぶり11度目のKEIRINグランプリ出場をほぼ手中にした(撮影・野島成浩)
千葉G3in松戸を制し、賞金ランク上位として2年ぶり11度目のKEIRINグランプリ出場をほぼ手中にした(撮影・野島成浩)

それでも、勝負はこれから。滝沢正光氏が徹底先行でタイトルを量産した姿に憧れ、逃げにこだわって先行日本一と称されるようになった。決して凡走せず、上がりタイムが格段に向上した現代のレース形態に走りを合わせてきた。「僕は人一倍、努力してきた。いろんな時代を経て今がある。生活の全てをささげてきた。負ければ悔しいし、勝てばホッとする」。取材中に何度か「僕も44歳になった」と年齢を気にした。それでも、闘志は衰えない。「僕の背中を押してくれる何かがある。声援、励まし」。

千葉G3表彰式を終え、笑みを見せながら心境を話す(撮影・野島成浩)
千葉G3表彰式を終え、笑みを見せながら心境を話す(撮影・野島成浩)

原動力はファンの存在と、松本氏の教えだ。「高校のとき、松本さんから『苦しいのは、上り坂を進んでいるから』と。楽になったらあかん」。上り坂の先にあるのは日本一。大好きな富士山のふもと、静岡競輪場で頂点を目指す。【野島成浩】