競輪、楽しんでいますか?

ちょっとばかり前の話で恐縮ですが、年度末、年度初めの立川、京王閣F1を振り返る。

まず、3月31日決勝の立川は「調布のユル・ブリナー」こと河合佑弥が打鐘から先行し、番手の鈴木竜士、3番手の諸橋愛、4番手の武藤龍生がきれいにワンツースリー。しかもその河合も4着に粘るという完璧な関東連係が決まった。

立川F1を優勝した鈴木竜士(撮影・栗田文人)
立川F1を優勝した鈴木竜士(撮影・栗田文人)

その前日、決勝メンバーが決まると、最も頭を悩ませていたのが鈴木だった。何しろ、デビュー以来、人の後ろを回ったのは、吉田拓矢の番手から優勝した17年12月のヤングGP1度だけ。「競輪学校時代も人の後ろを回ったことがない」という生粋の機動型が悩み抜いて出した結論が、河合の番手だった。

関東連係の中軸を担った諸橋愛(撮影・栗田文人)
関東連係の中軸を担った諸橋愛(撮影・栗田文人)

「今(の競輪界)は近畿が強い。その近畿に対抗するために関東の層を厚くしたい、ということを考えて(番手を)回ることにしました」と語る表情は鬼気迫るものがあった。諸橋は「どう並ぼうと僕は(鈴木)竜士の後ろだったけど、竜士には『河合の後ろを回っても竜士の評価は下がらないよ』とは言いました」と振り返る。河合、武藤ともにラインの役目をキッチリ果たしての上位独占。この4人に限らずだが、今後の関東の絆が強まる美しい連係だった。

京王閣F1を優勝した小松崎大地(撮影・栗田文人)
京王閣F1を優勝した小松崎大地(撮影・栗田文人)

4月3日決勝の京王閣は、飯野祐太の打鐘前先行に乗った小松崎大地が快勝した。準決終了後に「僕が北日本の前を回った時は、後ろが優勝する確率は高いですよ」とニヤリと笑った飯野。「おとこ気」が歩いているような男で、小松崎に成田和也-大森慶一まで続くとなれば、先行に迷いはなかった。とにかく人望が厚く、ゆえに弟子も多い。終わってみれば、メンバーが決まった時点で小松崎の優勝は決まっていたのかもしれない。

「歩くおとこ気」こと飯野祐太(撮影・栗田文人)
「歩くおとこ気」こと飯野祐太(撮影・栗田文人)
南関の「おとこ気」といえばこの男。桐山敬太郎(撮影・栗田文人)
南関の「おとこ気」といえばこの男。桐山敬太郎(撮影・栗田文人)

そんな流れの中、絶体絶命の8番手からまくり上げ、4分の3輪差の2着まで迫った桐山敬太郎にも敬意を払いたい。実際は、レース間隔が詰まっていて疲労困憊(こんぱい)だったが、やる時はやる男。南関の意地は十二分に見せてくれた。

次の元号は「令和」。お手伝いいただいたのは成田和也(撮影・栗田文人)
次の元号は「令和」。お手伝いいただいたのは成田和也(撮影・栗田文人)

ちょうどこの2開催の間、次の元号が発表された。来るべき「令和」時代も、競輪が盛り上がることを願ってやまない。【栗田文人】