落車後遺症による不振で昨年、4年ぶりにA級に陥落した藤原憲征(39=新潟)が、たくましくなってS級にカムバックしてきた。

藤原憲征はA級降格がカンフル剤になった(撮影・松井律)
藤原憲征はA級降格がカンフル剤になった(撮影・松井律)

00年8月デビュー。02年からはG1レースの常連だった。06年立川、08年静岡と日本選手権の決勝に2度進出。今は同県の諸橋愛が頑張っているが、ラインの層が薄い甲信越地区において藤原は希少な存在だった。

タテ足もあるが、必要な場面では別線の番手で勝負する。その妥協のないレーススタイルは、故障の原因にもなっていた。度重なるけがで満足のいくパフォーマンスができない。徐々に成績は下降し、昨年の降格につながった。

「A級は厳しかったですね。113期の子が強くて、自分がどんどん外に押し出されていくような感覚になりました。9月に弥彦で完全優勝した後、2場所続けて決勝すら行かれなかった。これは意識を変えなければ勝てないと、目が覚めました」

自転車の乗り方、練習方法、食事にいたるまでガラリと変えた。何より一番変わったのは意識だ。

「来年の自分が昨年と同じことをできる保証はない。いつだってチャンスを逃さない自分でいたい。いい人やって、またA級に落ちるなんて最悪ですからね」

その言葉を証明したのが22日のF1平塚初日。最終バックから番手まくりに出た矢野昌彦-石川裕二の3番手から直線強襲。矢野をかばった石川は6着に沈んだ。

平塚初日の藤原憲征はシビアに直線勝負を制した(撮影・松井律)
平塚初日の藤原憲征はシビアに直線勝負を制した(撮影・松井律)

「目標が先行したなら、残すことが大前提。でも、まくり追い込みなら、自分も踏んでやっと抜けるかどうか。自分の脚力を自分で分かっていないと、自分がこぼれていくだけ」

見せつけられた若い力の脅威。与えられたポジションに甘んじていた自分。A級では多くの気づきがあった。来月末に40代に突入する男は、再びハングリーさを取り戻していた。【松井律】