現役最年長の三ツ井勉(64=神奈川)が12月30日の松戸競輪を最後にバンクを去ることになった。社会人から転向し、45期生として80年4月にデビュー。ほぼ40年、最後の3054走まで全力を尽くした闘将のラストをリポートする。

赤のジャージーを着た三ツ井勉(前列中央)が愛車を前に、駆けつけた後輩や関係者とともに記念撮影する(撮影・野島成浩)
赤のジャージーを着た三ツ井勉(前列中央)が愛車を前に、駆けつけた後輩や関係者とともに記念撮影する(撮影・野島成浩)

ラストランになったチャレンジ選抜4Rは3着だった。逃げた菅原洋輔をマークして何度も車を振ったが、それでもまくった竹元健竜の3番手に切り替えた。多くのファンが詰め掛けたスタンドからは、三ツ井のラストランを知ってか「お疲れさま!」「頑張った!」「まだまだやれる!」の声がかかった。ゴール後の三ツ井はその声援に気づき、右腕を少し上げて応えた。

三ツ井勉が赤い3番車のジャージーを着てラストランになった選抜4Rの発走機につく(撮影・野島成浩)
三ツ井勉が赤い3番車のジャージーを着てラストランになった選抜4Rの発走機につく(撮影・野島成浩)

まだまだ戦う、戦える、戦いたい。最後まで闘志を見せた。29日の一般2Rでは、逃げた桜井大地を差し切って1着。自らの持つ最高齢勝利記録64歳2カ月3日を16日更新し、2カ月19日へと塗り替えた。新記録に、その談話を聞こうと記者が押し寄せる。それでも表情は硬い。「もう明日が最後。10月から挽回しようとしたけど間に合わなかった」。代謝制度の対象から逃れようと必死だったが、その思いはかなわなかった。1年を半年で区切った期の平均競走得点が3度続けて70点未満で、その平均点の下位30人が代謝となる。三ツ井は前検日の27日の時点で、その30人から抜け出すことは無理だと悟っていた。それでも、あらぬ限りの力をペダルに伝えた。そして2日目に金字塔を打ち立て、最終日もヨコへタテへ車を進めた。

平塚市より最高齢勝利を記念した盾を贈られる(撮影・野島成浩)
平塚市より最高齢勝利を記念した盾を贈られる(撮影・野島成浩)
選手仲間や関係者らに胴上げされ3度宙に舞う(撮影・野島成浩)
選手仲間や関係者らに胴上げされ3度宙に舞う(撮影・野島成浩)
駆けつけた弟子の松井宏佑(左)と固い握手をする(撮影・野島成浩)
駆けつけた弟子の松井宏佑(左)と固い握手をする(撮影・野島成浩)

ラストランを終えると、検車場の外には後輩や関係者ら約30人が待っていた。大きな拍手で迎えられた三ツ井は、髪をたくし上げながら照れた様子。涙はない。

「選手は今日まで。今までありがとう。気力と体力はあるが、点数はないからね」

言葉に無念さをにじませながらも、柔和な表情を見せた。平塚市から最高齢勝利を記念した盾を贈られ、息子で選手の三ツ井武や弟子の松井宏佑、ガールズ尾崎睦らから次々と花束を受け取る。胴上げでは3回宙に舞った。そして練習仲間の遠沢健二の姿を見つけ「次は決まってない。明日はとりあえず朝練習に行くよ」と声をかけた。そして実際、31日には平塚競輪場を訪れ、ジャージーを着て周回練習をこなした。

ラストランで白星を奪われた竹元健竜に冗談を言いながらからむ(撮影・野島成浩)
ラストランで白星を奪われた竹元健竜に冗談を言いながらからむ(撮影・野島成浩)
三ツ井勉がラスト353勝目になった2日目2Rで、目標にした桜井大地をねぎらう(撮影・野島成浩)
三ツ井勉がラスト353勝目になった2日目2Rで、目標にした桜井大地をねぎらう(撮影・野島成浩)

時に鋭く踏み、時には激しくさばいた。最高ランクはS級2班にとどまったが、その持ち場で存在感を見せた。08年に初代S級S班だった57期の遠沢健二(54)は「三ツ井さんに比べたら、オレなんか甘い」と話した。30日に松戸で胴上げに参加し、元日から取手を走る関根健太郎(29=100期)と鈴木慎二(46=74期)は、20年初戦の好発進へ意気込んだ。闘将の思いは連綿と伝わる。【野島成浩】