天皇杯の醍醐味(だいごみ)は、トーナメント一発勝負による番狂わせにある。毎年のように、J1クラブがカテゴリーの低いチームにのみ込まれている。山形大医学部サッカー部も、今年「もしや」と思わせたチームだった。8月29日に行われた1回戦で、J1山形に冷や汗をかかせた。

 “オペ”は突然始まった。試合開始38秒。山形大医学部FW斎藤大三(3年)が、いきなりJ1チームにメスを入れた。センターライン右から上がったクロスを山形DF2人と競り合うと、足元に落ちてきたこぼれ球を冷静に右足で押し込んで先制した。その後7失点で逆転負けしたが、それ以上に医者の卵たちの健闘が光った。試合後、斎藤は興奮気味に振り返った。

 「夢見ているのかなと思った。気付いたら自分の足元にボールがあった。これはいけるんじゃないかと思った。ワンチャンス狙いだった。自分の持ち味であるぐちゃぐちゃっとしたゴールを決められて良かった」

 斎藤は山形・出羽小2年からサッカーを始め、進学校の山形東高でも続けた。高2の春の練習試合で接触プレーで右膝半月板損傷。夏に手術してその秋の選手権予選では県4強に進出した。医者になる道を選んだのは、このケガがあったからだ。

 「右膝を痛めて、思うようにプレーができませんでした。夏に手術して、また思い切りプレーできるようにしてくれた主治医に憧れて、医学の道を志しました」

 高3時に山形大医学部を受けるも不合格。浪人時代は、寝る時間以外のすべて勉強時間にそそぎ、見事合格を果たした。同サッカー部は、東北地区大学連盟2部Bリーグに所属。週4日の練習と勉強を両立している。天皇杯後に主将に就任した斎藤は部の伝統にメリハリを挙げる。

 「オンとオフがはっきりしています。3時間の練習はガッチリやって、その後はドンチャンやります。やることをやるかわりに、はっちゃけるときはとことんやります」

 インターネットでも取り上げられたのが、試合に臨むときの髪形だ。赤い髪やモヒカンなど、未来のお医者さんとは思えない、バラエティーに富んだスタイルで試合に臨む。さすがに天皇杯1回戦では、黒髪に戻して戦った。

 「サッカーに比重をおきすぎて、天皇杯のリバウンドで追試が迫ってきました。でも(Jクラブから)先制点をとったことは最高の思い出です。大学ではチームメートに恵まれました。試合の日、地元友達とかがいっぱい応援に来てくれたんです。今後は今まで自分を応援してくれた仲間たちに恩返ししていきたい」

 専門はまだ未定という。大好きなサッカーがきっかけで医学の道を歩む斎藤。そのサッカーで、天皇杯という大舞台で、プロからゴールを奪ったことに素直に拍手を送るとともに、何かの形でサッカーに携わるドクターになってくれることを願っている。


 ◆高橋洋平(たかはし・ようへい)1981年8月3日、京都市生まれ札幌市育ち。04年に日刊スポーツ新聞社入社後は整理部2年半、販売局8年半を経て15年5月から東北総局。数学が苦手で、私立文系大学に進学。