大好きなすしをつまむ。日本代表、Jリーグ、アジアチャンピオンズリーグを掛け持ちで戦う浦和MF柏木にとって、数少ない気分転換の時間だ。
先日も、ようやく予約が取れたという銀座の名店に足を運び、舌鼓を打ったという。
すべてのネタが上質。赤酢がきいたシャリと溶け合い、食べるものはみな顔をほころばせる。その中でも、極上と言われるマグロは出色だった。
供された赤身は、ルビーのように透き通り、高貴に輝く。まずは目で愛でてから、ゆっくりと口に運ぶ。「うん。うまい」。そして、話し掛けることもはばかられるほど、無言で余韻に浸った。
柏木はそのまま、しばらく物思いにふけっていた。やがて口を開いた。
「…ヒラさん」。
◇ ◇
柏木が熱っぽく語り出したのは、在籍15年目のクラブ最古参、MF平川忠亮(36)についてだった。
「すごい選手やと思うんよ。ああいう方こそ、本当は評価されなアカン思うねん」。
選手が認める選手とは。私も話を聞いてみたくなった。
後日、練習後の柏木を呼び止めた。
「誰から聞いたんすか(笑い)。まあ、ええか」。
そう言って、ベンチに腰を据えた。普段から早口の柏木だが、この日はメモをとるペンが追いつかないほどの勢いで、一気にまくしたてた。
「なにがすごいかって聞かれたら、すべてって答えるしかないんよね。たとえば、あまりイメージないかもしれんけど、あの人の足元の技術。ハンパなくレベル高いから。もちろん、フィジカルも、戦術眼もすごい。だからかえって、どの要素も目立たないのかも。でもそれって、ホンマすごいことやと思うけどね」。
なるほど、そうなのかと思うと同時に、深く考えさせられた。
何か1つ、明確な特長を持つ選手は、メディアも取り上げやすい。プレーの中から、象徴的な部分を切り取るのが容易だからだ。
スポーツ新聞は紙幅に、テレビのニュース番組は尺に限界がある。特長を端的に表現できる「分かりやすい選手」の方が、どうしても重宝される。
平川には日本代表の肩書もない。しかも「なにがすごいかって聞かれたら、すべてって答えるしかない」のだ。到底「分かりやすい選手」とは言えない。
私も浦和担当になって1年半、やはり「平川」と見出しをとる記事を書いたことは、まだない。
◇ ◇
もう1度、平川について聞いて回ってみることにした。
チームスタッフは「フィジカル面は今もトップクラス」と口をそろえる。
「普段の練習では、スペースを限定するメニューが多いので目立ちません。でも遠征に帯同しない数人で行う練習では、使うスペースが広いので、ヒラのものすごいスピードが見られます。あれは居残り組の特権ですね(笑い)」。
かつては「爆速の野人」とうたわれた岡野をして「ヒラが一番速い」と言わしめた。そのスピードは、今も色あせてはいない。
12年に就任したペトロビッチ監督は、練習を見るなり「平川。あんなにいい選手とは思わなかった」とつぶやいたという。
フィジカル、テクニックだけではない。高度で事細かなペトロビッチ戦術も、2、3回の練習でおおむね理解した。早々にツボをおさえた動きをする姿に、指揮官はただただうなるしかなかった。
仕えてきた8人の監督のうち、7人は外国人。個性派ぞろいの指揮官が、そろって平川を重用した。
そのことからも、平川の実力、そして適応力の高さは明らかだ。
しかし一方、慧眼で鳴るペトロビッチ監督ですら、平川の「真価」を知ったのは浦和に来てからだった。
◇ ◇
「確かに、ヒラさんのすごさは、一緒にやってみないと分からないかもしれません」。
そう言いながら、MF宇賀神は何度もうなずいた。左ウイングバックとして、練習から右の平川と常にマッチアップしている。
「ここに入団するまでは、とにかくスピードで勝負する選手というイメージだった。でも、一緒にやってみたら、まったく違いました。陽介が言うように、基礎技術のレベルがものすごく高い。しかもそれ以上に、サッカーIQが高い。相手との駆け引きの部分などは、ヒラさんから学ぶことばかりでした」。
味方との連動プレーもあるが、サイドの選手は基本、向き合った相手との1対1の攻防が主になる。
構える高さ、仕掛けるタイミングを工夫し、いかに相手の選手を自陣に押し込むか。あるいは相手を誘い出し、裏をとるか。
テレビの中継映像に映らないところで、90分を通して駆け引きは続く。
「ヒラさんの駆け引きは絶妙です。でも、駆け引きって、言葉で説明しづらいですよね。言葉にならないとなれば、記事にするのも難しい。うーん、どうしたらヒラさんのすごさって、伝わるんでしょうか…」。
宇賀神はまるで、自分がコラムを書くかのように、考えをめぐらせ始めた。
明日の試合に響くからまたにしようと言って、こちらが背中を押すまで、取材エリアを後にしようとはしなかった。
◇ ◇
はたと気づいた。どの選手も、平川の魅力がどうやったら伝わるのか、一緒に頭を悩ませてくれる。
「ヒラあってのチームだと、みんな分かっているからでしょう」。あるクラブスタッフは得心したようにうなずいた。
ある控え組中心の練習試合で、昨年まで現役だったMF鈴木啓太が、非常に低調だったことがあった。
今思えば、現役を続けるかどうか、深く迷っていたのかもしれない。いずれにしても、珍しく集中を欠き、ミスが続いた。
ハーフタイム。平川が鈴木に声をかけた。多くは言わない。たったひと言。「今日は全然、波に乗れてないのな」。
後半。鈴木は見違えるように、集中力を研ぎ澄ませたプレーをみせた。
タイトルを取るためには、チームが真の意味で一丸でないといけない。
たとえ控え組中心の練習試合であっても、優勝を目指す雰囲気に水を差すプレーがあってはならない。
苦言を呈するのには、エネルギーもいる。人間関係を崩すことになるかもしれない。しかも相手は、在籍16年の鈴木だ。
言うなら自分しかない。平川はそう思い、口を開いた。鈴木が肉体づくりを兼ねて趣味にしていたサーフィンに引っかけ、やんわりと指摘した。
相手も思慮深いベテラン。それで十分だと考えた。確かにそれで十分だった。
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柏木も「オレも、ヒラさんにしかってもらったことがある」と遠い目をする。
11年。ゼリコ・ペトロビッチ監督当時のチームで、柏木はスタメンを外れたことがあった。
「はっきり言って腐ってました。悪い雰囲気もつくってもうてたと思います。でも、ヒラさんだけが『メシでも行こうか』と声をかけてくれたんです」。
店に着くと、平川は柏木に「お前は間違っている」とはっきり指摘した。プロとして、どんな時も全力を尽くすべきだと求めた。
柏木が真摯(しんし)に受け止めるのを見て、平川は話題を変えた。後はいつものように、和やかに雑談をして、会食は終わった。
「あの人は、見込みがないことには、くどくどとモノを言うことはない。後腐れがないように、その場が笑って終われるような配慮もしてくれる。ヒラさんに言ってもらえるのは、本当にありがたいことだと、いつも思うんすよね」。
そこから復調した柏木は、J2降格の危機にひんしたチームを救う活躍をみせた。昨年日本代表に復帰できたのも、元をたどれば平川に救われたからだった。
◇ ◇
平川は「みんな、そんなことを言ってくれているんですか」と苦笑いした。
桜のつぼみもほころびだした、春の大原サッカー場。全力でこなした練習の余韻のように、額には汗がにじんでいた。
「うちには闘莉王とか闘莉王とか、いつも強烈な個性がある選手が多い(笑い)。でも目立たなくてもいいと思ったことはないですよ。ただ、それよりもチームが優勝した喜びの方が、はるかにでかいんです」。
リーグ、ACLの優勝を経験した。だからこそ「すべてを持ち合わせるからこそ目立たない」というジレンマなど、ささいなことだと思えるのだろう。
「生え抜きだからとか、真面目にやってるからとかだけで、チームに残してもらえるような甘い世界じゃない。自分はまだやれると自負してます。ただ、いつまでもできるわけじゃない。そう思うようになってから、浦和をもう一度強くしたいという気持ちが、あらためて強くなりました」。
これまでいくつものプロスポーツチームを取材してきたが、ここまで不協和音が聞こえてこないチームも珍しい。
出場機会に恵まれなくとも、ベストコンディションを保ち続け、周囲への配慮も欠かない。背中で、時に言葉で、チームを束ねる。最年長の平川の存在は、本当に大きい。
◇ ◇
マグロの赤身には、うにのような個性的な香りはない。大トロの強いコクもない。
しかし全国をめぐって素材を厳選し、さらに2週間の熟成まで加えた極上の赤身は、すべての面で他のネタを陵駕していた。
柏木が感銘を受けた究極の赤身の握りは「すべてがすごいと言うしかない」平川のイメージに重なる。
銀座の同業者がこぞって「うちよりうまい店を挙げるならここ」と認めるあたりも、似ているかもしれない。
平川は昨年はリーグ8試合の出場にとどまったが、5月のG大阪戦では先発。最大のヤマ場でチームに勝ち点3をもたらし、第1ステージ優勝に導いた。
Jリーグチャンピオンシップ準決勝G大阪戦でも、接戦の終盤で起用された。ペトロビッチ監督は、大事な試合で必ず平川をピッチに送り出す。
口うるさい食通をも、とっておきの1貫でうならせる。そんな気鋭の職人の仕事ぶりが想起される。今季も勝負どころで、必ず平川の出番が来るはずだ。
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ちなみに平川を、有楽町の駅構内で見かけたことがある。遠征時には、羽田空港からの移動便に遅れないように、時間の計算がたつ鉄道を使うそうだ。
乗用車移動が大半のトップ選手にあって、珍しい心掛けだと感じた。そう伝えると、平川は「帰りが空港から電車なら、飛行機の中で一杯やれるという楽しみもあるんですけどね」といたずらっぽく笑った。
それを聞いて、いつか酒でも酌み交わしながら、サッカー論を聞いてみたいと思った。しかし今はまだ“究極の赤身”のすごみを、真剣勝負の場で味わい続けていたい。【塩畑大輔】