「ありがとうございます」。新潟のMFレオ・シルバ(30)は、こう言って試合後の囲み会見を始めた。

 8日、第11節G大阪戦でレオ・シルバはJ1通算100試合出場を達成した。13年に来日し、4年目のシーズンで到達した記録。感想の冒頭は日本語での喜びの表現だった。その後に通訳を介して話した。

 クラブハウスで顔を合わせると「おつかれさま」、単独インビューの前には「お願いします」を必ず言う。「事務室に来て『ファクスを送ってください』と、普通に日本語で言いますよ」(クラブ広報)。こちらから日本語で話しかけても、普通に日本語で返してくれる。簡単な会話なら、不自由のないレベルで日本語を操る。

 新潟との契約が決まった直後から、インターネットなどを利用し、独学で日本語を勉強し始めていたという。2年前から自宅に日本語の講師を定期的に招いて、授業を受けている。DFコルテース(29)、FWラファエル・シルバ(24)も興味を示し、今はクラブハウスに場を移して、ブラジル人選手3人で授業を受けることもある。

 今、レオ・シルバが最も発する言葉は「危ない」だ。実戦形式の練習中、空いたスペースを突かせないように味方に指示を出す。いつの間にか、ほかのブラジル人選手、そして日本人選手も「危ない」を多く口にするようになった。

 熱心に日本語習得に取り組む理由を「コミュニケーションを密にするためです」と言う。当然、話せるようになれば試合での意思疎通が図りやすく、日常生活でも負担が減る。ただ、勉強を継続することで得られるものは、語学力だけではない。チームや周囲からの信頼は、日本語の上達以上に早く得られ、厚い。

 14、15年に新潟の主将を務めたDF大井健太郎(31=現磐田)は言っていた。「主将は僕じゃなく、レオがいいと思う」。チームメートと分かり合うために、地道に努力を積み重ねる様子を誰もが見ていた。自然と、影響を与える存在になっていた。

 今季、レオ・シルバは大野和成(26)とともに副主将になった。主将の小林裕紀(27)がピッチにいないときは、レオ・シルバが主将マークを腕に巻く。その姿に違和感はない。

 ◆斎藤慎一郎(さいとう・しんいちろう)1967年(昭42)1月12日、新潟県出身。15年9月から新潟版を担当。新潟はJ2時代から取材。サッカー以外にはbj、Wリーグのバスケット、高校スポーツなど担当。