5月、浦和MF阿部勇樹(34)と、J2熊本FW巻誠一郎(35)のもとに、メッセージが届いた。

 「2人が頑張っていると聞いたので、それは指導者としてなのかと聞き返してしまったよ。それほど年月が過ぎても、まだ現役選手として頑張っているというのは、私にとっても何よりも喜ばしいことだ」

 言葉の主はイビチャ・オシムさん。元日本代表監督にして、2人がプロデビューした千葉時代の恩師だ。

 メッセージは、リーグ100試合連続フル出場を果たした阿部と、熊本地震の復興支援に奔走する巻をたたえるもの。

 もちろん、阿部と巻が現役を続けていることを、知らないわけはない。愛情をウイットのオブラートにつつむのが、変わらぬオシムさんの流儀だ。

 しかし、久々のやりとりにしては、メッセージはあっさりと終わった。第三者からすれば、拍子抜けするくらいに短かった。


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 「十分ですよ、それで十分」。ピッチからようやく引き揚げてきた阿部は、スパイクを脱ぎながら、にっこりと笑ってみせた。

 14日、大原サッカー場。G大阪とのアウェー戦前日練習が終わると、阿部は居残りで40メートルほどのパスを蹴り続けた。

 「腹出てるのに、いい球蹴るねえ。いいもん食ってるからだなあ」。相手役のスタッフと笑いあいながら、遠征への出発ギリギリまで、ボールを愛でるように練習し続けた。

 その姿は、かつての光景を思い出させた。10年以上前の姉崎公園サッカー場。市原に所属していた阿部は、いつも居残りでボールを蹴り続け、監督のオシムさんに怒鳴られていた。

 「早く引き揚げろ! 全体練習だけじゃ物足りないというなら、こっちも考えがあるぞ!」

 カミナリを落とされ、阿部はあわててロッカールームに引き揚げる。しかし翌日も、懲りずに居残り練習をする姿があった。

 居残りをルールで禁じるのは簡単だったはずだ。今思えば「カミナリ」も、居残り練習が一区切りするのを待って落とされていたようにも思う。

 規律を重んじるオシムさんだが、心中では阿部の向上心を好ましく感じていたのだと思う。


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 4月の仙台戦で、阿部はリーグ100試合連続フル出場を達成した。フィールド選手では3人目だったが、ボランチでは初めてだ。偉大な記録だが、試合後には「通過点です」と事もなげに話した。

 「別にこれで引退するわけでもないし、まだまだです。そう思って頑張らないと、遠くで見てる人に怒られますから」

 殺到する記者の質問にかき消されたが「遠くで見ている人」という言葉が、強く印象に残った。

 今回のオシムさんのメッセージについて聞く中で「あれはオシムさんのことでしょう」と振った。阿部は「みなまで言うな」とばかりに笑って手で制した。

 「オシムさんは『ベテランとは、第2次大戦当時にプレーしていたような人をさす言葉だ』とおっしゃってました。その言葉を思い出すたび『オレもまだまだうまくなるために頑張らないと』と思うんです」

 だからこそ、阿部は34歳の今も熱心にボールを蹴る。姉崎で恩師が「いつカミナリを落とそうか」と、タイミングをはかっていたあの日と同じように。


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 短くても十分。メッセージを受け取ったもう1人の愛弟子、巻もまた同じだった。

 熊本地震で自らも被災しながら、先頭に立って復興支援活動に奔走してきた。

 本震から2週間後、チームの活動は再開。しかしその後も、練習の合間に避難所をめぐり、サッカー教室や支援物資の配布などを続けてきた。

 周囲の選手も「巻さんはすごい。誰よりも熊本のために動いている」と口をそろえる。

 さりとて、巻も超人ではない。復興への道は長く、険しい。リーグ戦に復帰したチームに白星をもたらせないジレンマもあり、悩みにくれることもあった。震災前より、明らかに涙もろくもなった。

 そんな時、巻は短いメッセージをきっかけに、師の言葉を思い出した。

 「巻には巻にしかできないことがある。オシムさんは、足元がうまくない僕に、いつもそう言ってくれました。それを思い出すと、涙が出ます。今の自分にもそう言ってくれている気がして…」

 元日本代表の知名度。サッカーを通して培った人脈。それらを持つ自分にしかできないことがある。

 香川、岡崎ら日本代表の選手たちが巻を頼り、復興支援のために熊本を訪れた。全国のファン、支援者が巻の呼び掛けで物資を募り、熊本へと送った。避難所で使うマットレスなどは、数千枚も集まった。


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 メッセージの伝言役になったのは、日本代表でオシムさんの通訳を務めた千田善さんだった。

 仕事でボスニア・ヘルツェゴビナを訪れることになった千田さんは、日本を出発する際、キャリングケースに色紙を2枚入れた。

 滞在期間中に、オシムさんから2人への激励の言葉をもらおうと考えていた。だが、事はそう簡単には運ばなかった。

 サラエボのオシム家に電話をしても、なぜかまったくつながらなかった。実はオシムさんの孫娘が、イタズラをして電話を壊してしまっていたのだ。

 修理が済み、電話が通じたのは、千田さんの帰国前日。電話口の夫人のアシマさんに相談すると「ごめんなさい。イヴァンは明日、サッカー協会の会議があって、時間が取れるか分からないの」と言われた。

 大事な会議で、終了は予定よりも大幅に遅れる見通しだという。それでは帰国便に間に合わない。今回はムリか-。2人のためにと粘り続けた千田さんだが、ついに断念した。

 しかし、思いが天に通じたのか、千田さんに幸運がめぐってきた。翌日。サラエボ市内に住む知人が連絡をくれた。

 「イヴァンは予定より早く会議が終わったので、スタジアムの近くで休憩しているよ」

 あわてて、知人が教えてくれた場所に向かった。オシムさんに会えたのは、空港に向かう乗用車が出発する20分前のことだった。


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 千田さんは「もう少し時間があれば、もっとちゃんとしたメッセージがもらえたかもしれないのですが」と苦笑いする。しかし、阿部が言うとおり、2人には「十分」だった。

 浦和は11日に鹿島に敗れ、第1ステージの自力Vの可能性が消えた。しかもアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で決勝トーナメントに進出した関係で、今後G大阪、広島、東京、神戸と、中2、3日で4連戦しなければならない。

 熊本は16日に、本震から2カ月を迎える。しかしいまだ6000人以上が避難生活を強いられている。チームも地震直後にリーグ戦を消化できなかったため、夏場には過酷な連戦が待っている。

 阿部にも、巻にも、難しい状況が待っている。やるべきことは多い。それでも2人は前に進む。遠くで師が見守ってくれている。


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 メッセージは、こう締めくくられていた。

 

 ずっと見ているので、頑張ってほしい。

 君たちの友人、イビチャ・オシムより



 ◆塩畑大輔(しおはた・だいすけ)1977年(昭52)4月2日、茨城県笠間市生まれ。東京ディズニーランドのキャスト時代に「舞浜河探検隊」の一員としてドラゴンボート日本選手権2連覇。02年日刊スポーツ新聞社に入社。プロ野球巨人担当カメラマン、サッカー担当記者、ゴルフ担当記者をへて、15年から再びサッカー担当。