中村俊輔は、寂しい目をしていた。静かな口調で「もう代表はいいかなと思います」。ちょっとでも涙腺に触れる質問をしたら、今にも泣き出しそうな顔だ。それでも、言葉を選び、時には考え込みながら冷静を装いながら10分以上も話した。6年前のW杯南アフリカ大会で、パラグアイに負けて敗退した直後。32歳の中村は、そうして代表のユニホームを脱いだ。

 長年、代表の10番を背負って戦ってきたが、体調不良などもあって本大会直前に正位置を失った。大会が始まっても調子が戻らない。それでも直前のスイス合宿では、控え組に入り「我々が必死にやれば、あいつら(レギュラー組)に伝わるから」と、サブ組を鼓舞し、紅白戦に臨んだ。

 南アから帰国し、数日がたって中村は言った。「レギュラーから外されてからW杯期間中に代表引退はずっと考えたよ。(本田)圭佑みたいに複数のポジションをこなさないと、代表には残れないね。彼はトップ下もできるし、FWもこなせるからね」。本田が注目されながら06年に代表初招集された時の合宿で、本田のことを聞かれ「まだまだだね。全然」と話していた司令塔が、台頭してきた若手の力を認め、自ら身を引いた。

 6年の時が流れた。当時の若手はベテランになって、若手の挑戦を受ける立場となった。スタメンから外された本田はサウジアラビア戦後「他の選手に聞いてください」と話してミックスゾーンを通過した。30歳の本田は現状をどう受け止めているのか。

 私は20年間、日本代表を取材してきた。三浦知良や中田英寿ら多くのトップアスリートの去り際を見た。「あの瞬間」は突然やってくる。それは本人の意思と、必ずしも一致するとは限らない。1試合外れただけで、ここまで考えるのは大げさかもしれない。ゲーム勘が戻れば…。そう信じて来年3月を待とうと思う。【盧載鎭】

 ◆盧載鎭(ノ・ゼジン)1968年9月8日、韓国・ソウル生まれ。96年に入社し、主にサッカー担当。最近の関心事は長女の高校受験(中3)と、おそらく最年少で全日本選手権の女子エペに出場する次女(中1)のフェンシング。