J2札幌は11月20日の最終金沢戦に0-0で引き分け、09年以来7年ぶりのJ2優勝と11年以来5年ぶりのJ1昇格を決めた。

 ラスト2戦となった11月12日千葉戦は、FW内村圭宏(32)が後半開始から途中出場。1-1に追い付いた後、ロスタイムに入った50分、右足ダイレクトボレーで劇的な決勝ゴールを決めた。

 「高校時代から、意外とこういうときに点を取るって言われるんですよ」。

 この試合で2位清水、3位松本に勝ち点3をつけ、最終戦ドローでも自力で優勝、昇格が決まる状況になった。13番の今季11点目は、今季を締める貴重な1発になった。

 日刊スポーツ北海道版では昇格決定の翌21日付で、14年に結婚し内村を支えた里枝夫人からの祝福の手紙を掲載した。前回11年昇格時もチーム最多12点を挙げJ1に導いたが、腰痛による途中離脱や、累積警告などで出場は38試合中27試合にとどまっていた。今季は自身初、チーム唯一の全42試合出場。一本気な性格で、昨季までは、納得いかない判定に抗議し、頻繁に警告をもらっていたが、今季は7月31日山口戦で3枚目の警告を受けて以降、4カ月17試合警告ゼロで乗り切った。コンディション調整だけでなくメンタルコントロールも格段にうまくなった。そこで独身時代と変わった部分を掘り下げるべく、家族にも協力してもらった。

 札幌に、初めて自動昇格の可能性が出た10月22日の第37節東京V戦前に、夫人に手紙をしたためてもらった。だが、目の前にゴールが見えると、なかなかたどり着かないもので、その東京V戦は今季ホーム初黒星。以降、第38節の10月30日熊本戦で初の連敗、第40節11月6日徳島戦で初の逆転負けを喫し、2位松本に勝ち点で並ばれ、3位清水には3差と詰められた。第41節千葉戦の結果次第では一気に3位転落する窮地に陥っていた。

 この仕事をしていると、優勝や昇格など大きな節目の可能性が出た時点で、事前にいろいろな企画準備を進める。その中で結果的にお蔵入りになるものもある。子育て中の夫人の忙しさを知りながら慣れないお願いをした手前、もし昇格しなかったらどうしようかと、着地点が見えない不安が、常につきまとっていた。

 しかも運命を左右する大一番の千葉戦は、前半31分に先制を許した。1-1に追い付くも、ロスタイムに入った。このままなら首位はキープ。最終戦で勝てば自動昇格できる。半ば勝ち点3を諦めかけた後半50分、内村が、ものすごいスピードで、左から右に流れ入ってきた。相手DFのマークを一瞬で外し、河合のロングボールを、右足ダイレクトで、ふわりとゴール左に蹴り込んだ。「竜二さんから来ると思っていたので狙っていました。シュートはイメージ通り」。この1点で、最終戦で負けても得失点差次第で自動昇格できるという最良の状況になった。

 お願いしていた手紙の存在は一転、掲載確実になった。仕事柄、冷静に戦況を見なければならないが、担当記者としての思い入れもある。しかも内村はずっと好調の中、チーム事情で3戦連続ベンチスタートだった。途中出場から結果を出した男の執念に恥ずかしながら涙が出そうになった。内村に、その気持ちを伝えると「手紙を無駄にできないですからね。あと1試合頑張りますよ」とすがすがしかった。心強いエースの言葉に安堵(あんど)し、もう決まったと確信した。

 最終金沢戦は0-0で昇格が決定。翌21日付北海道版3面に大きく夫人の手紙を掲載し、その脇に昨年10月から恥骨痛に苦しみ、引退も覚悟して臨んだ夫の今季の奮闘ぶりをつづった記事を添えた。

 前回11年は最終東京戦の2ゴールでJ1に導き、通常の記事で活躍を報じた。自身2度目の昇格となった今季は、残り2戦で決着をつけるロスタイム弾。新聞に掲載後、初めての手紙企画の感想を聞いた。

 「自分のことだけだと気持ちが緩んでしまうこともあるけど、誰かのためにと思うと、力が出るものですね。かみさんの手紙、やって良かったです」。

 8年務めた札幌担当を今季限りで離れる。最後は、家族の支えでバージョンアップした内村シェフ仕込みの極上“スパイス”で心地よく、最高の幕引きをさせてもらった。愛媛から札幌に加入した10年から7シーズン見てきた。自分でカメラを構えながら、ゴール前に忍び込む感覚、シュートのタイミングまで読めるようになった。足元の技術もさることながら、マークをはがす絶妙な駆け引きが見ていて楽しかった。

 さまざま場面でヒーローとして取り上げさせてもらったが、昇格紙面がおそらく最後の記事になる。「最高の記事をありがとうございます。一生の記念になる記事にしてもらって。うれしいです」。こんなことを言われたのは記者人生で初めてだ。自分もやりきったと思っているが、こういう言葉は一番、心にしみる。

 しゃべればとにかく素直で、コメントに飾り気がなくストレートな根っからのサッカー少年。支える夫人も明るく気さくでカラッとしていて、なるほど、この人に、この奥さんありと、合点がいった。夫へのまっすぐな気持ちが伝わる透明感あふれる手紙の存在が際立って、記者の記事は目立たなくなったが、それも結果オーライ。担当を離れても記者としての立場を離れても、いつまでも応援し続けたい-。そう思える選手、そしてファミリーに出会えたことを、心の底から感謝したい。


 ◆永野高輔(ながの・たかすけ)1973年(昭48)7月24日、茨城県水戸市生まれ。両親が指導者だった影響で小5からフェンシングを始め競技歴15年。早大フェンシング部で一度、現役引退も、00年に再起してサラリーマン3年目の27歳で富山国体出場。09年から札幌担当。