11月22日のコラム「名将だけど笑える 清水・小林伸二監督のエピソード」が思いのほか好評でした。多くの方に読んでいただいたようなので、続編を紹介したいと思います。

 (1)名前間違えの真相 前回のコラムで書きましたが、小林監督は指導に熱が入ると選手の名前を間違えることがあります。その中で紹介したFW大前元紀を「ダイキ」と呼んでしまった理由が判明しました。後日、監督に聞くと「大前の『大』という漢字がパッと頭に浮かんで『ダイ(大)キ』になったんだよ」と…。ちなみに、大分時代に指導していたFW高松大樹の現役引退についてコメントを求められた小林監督は、高松のことを「ゲンキ」と呼んだそうです。

 (2) 監督業ならではの出来事 2015年シーズン終盤に清水から監督就任のオファーが届くと、小林監督は夫人に相談したといいます。その時の会話の一部始終です。

 小林監督 あの…。

 夫人 オファーが来たのね。

 小林監督 分かる? エスパルスなんだけど。

 夫人 すぐ分かるよ。(エスパルスは)大変だね。でも、やりがいはあるでしょ。

 小林監督 成功したら、面白いと思う。

 過去4クラブを昇格させた監督の夫人ともなれば、一言、表情1つで「オファー」に気づくようです。静岡で単身生活を送る小林監督にとって、家族の支えは大きかったと言います。

 (3)続・大のお酒好き 先日、J1昇格の祝勝会を兼ねて、監督と番記者数人、クラブ関係者で食事会に行きました。ハイペースで飲み続け、1次会は終了。2次会はカラオケになりました。小林監督の十八番「君が代」を聴き、そこでも飲み続けて、3次会へ…。お開きなった時は、午前3時を過ぎていました。後日、監督は「記者の人たちは元気だね」と言っていましたが、監督の方がよっぽど元気だと思います。

 歴代監督で最多4度のJ1昇格を果たし、歴史に名を刻んだ小林監督。前回に続き、今回もちょっと笑えるエピソードを中心に紹介させてもらいました。

 私事ですが、今年で清水担当を離れることになりました。小林監督とは、1年間のお付き合いでしたが、J1昇格に導く手腕を間近で拝見でき、多くのことを学ばせてもらいました。担当は変わりますが、来季のご活躍を陰ながら期待したいと思います。


 ◆神谷亮磨(かみや・りょうま)1985年(昭60)8月28日、静岡市清水区生まれ。幼稚園からサッカーを始め、高校は東海大静岡翔洋(旧東海大一)でプレー。08年入社。担当は11、12年にJ2磐田、13、14年にアマチュアサッカー、15年から清水。