日本を愛するスペイン人が、少し変わったキャリアを歩むことを決めて17年を迎えた。日本代表の元GKコーチであるリカルド・ロペス氏(45)。1月から、千葉県内のクラブであるアーセナルサッカースクール市川のテクニカルディレクター(TD)に就任した。16年7月で日本協会との契約が満了した後、次に選んだのは日本の学生の指導だった。

 現役時代の経歴は輝かしい。94年にAマドリード(スペイン)のトップチームに昇格し、96年にリーグ優勝。イングランド・プレミアリーグのマンチェスターUに移籍した02年にもリーグ優勝を経験した。同年にはスペイン代表として日韓W杯に参加。11年に引退してからはスペインで指導者の道を歩み、ベルギーを経て14年にアギーレ前日本代表監督とともに来日していた。

 だからこその違和感だった。国の代表コーチも務めた人が、今後のキャリアを考えた時に選ぶ道なのだろうか。聞くと、ロペス氏は迷いなく答えた。

 「今は、GKコーチをやるつもりはありません」。

 言葉をすぐにはのみ込めなかった。

 ロペス氏の価値観はこうだ。「視野を広く持ちたい。せまく捉えるのはいやなんです。同じ場所にずっといる考えは持っていない」。日本協会との契約が切れた瞬間から、環境を変えることを心に決めたという。

 中国やカタールの複数クラブからもGKコーチのオファーがあった。だが、給料も聞かずに断った。「僕もどこのチームからのオファーだったか正確に分からない。それすら聞かなかったので」。地元スペインの複数クラブの監督から話を持ち掛けられた時も、「アーセナルスクールの話をもらった後だったから」と心は揺れなかった。

 3人の子と妻がいる。18歳の長女はロンドンの高校に通い、13歳と11歳の2人の息子と妻はスペインにいる。家族の話を聞こうとすると、「話すと泣きそうになってしまうんですが」と笑ってごまかした。家族と遠く離れてもなお、日本を選んだのだった。「2年前までは日本は未知の世界だったけど、想像していた以上のものを持っている国でした」。

 アジア極東の島国は新鮮だった。気候が意外とスペインに似ていて、過ごしやすい。もちろん驚きもあった。「電車の乗り換えアプリを使ったら来る時間と着く時間が両方出ていて、しかも、本当にぴったり。どうやればこんなことができるんですか?」。うれしそうな顔で、声を弾ませた。決まりごとを守り、礼儀を大切にする日本の風土を気に入った。

 食事も興味深いものばかりだった。ラーメンと焼き肉、刺し身が大好物だ。

 「とんこつラーメンのスープはあんなにおいしいのに、日本人はなんでみんな全部飲まないんですか?」「刺し身はマグロにしょうゆと、わさびが少しあれば最高」。

 スペインに帰ると、「日本人はどうせ生魚しか食べないんだろう」と笑う友人と毎回ケンカになる。「中華料理に近い」と説明すると、イメージしてもらいやすいという。「日本はおいしい料理屋もバーもある。クリーンで、娯楽施設も多い。幸せになるために必要なものがある」。青い瞳を輝かせた。

 スペインに帰ったとき、自分が少し誇らしい瞬間があるという。「見た目で日本人かどうか分かるんです」。アジア人の観光客が多いマドリードの街を歩いていてもすぐにわかる。実際に道行く人に日本語で「こんにちは、はじめまして」話しかけ、驚かれたこともある。「あとはカバンを体の前に持っていれば、間違いないですね」。冗談っぽく笑った。まだ片言の日本語は今も進化中だ。

 日本で過ごした2年の間に、大きな目標もできたという。ロペス氏は照れ笑いを浮かべた。「夢を持て、とよく言われますよね。個人的な夢は…。監督として、名を知られることです。欲を言えば、いつか、日本代表の」。1月のアーセナルスクールの就任会見では、報道陣はわずか10人程度。1人1人に「来てくれてありがとう」と日本語で感謝し握手を交わした。夢をかなえるには時間がかかるが、ロペス氏にとってはこれが“最短距離”なのだろう。元日本代表GKコーチは今日も、子どもたちが待つ市川の練習場へ車を走らせる。【岡崎悠利】


 ◆岡崎悠利(おかざき・ゆうり)1991年(平3)4月30日、茨城県つくば市生まれ。青学大から14年に入社。16年秋までラグビーとバレーボールを取材し、現在はサッカーでおもに浦和、柏、東京V、アンダー世代を担当。