3月の日本代表ベルギー遠征に前後して、選手だけでなく、ワールドカップ(W杯)ロシア大会に向けた話題を取材するため欧州を回りました。ドイツ連盟を2019年からメインスポンサーとして支えることが決まった、自動車の世界最大手フォルクスワーゲン(VW)もその1つ。VWジャパンの方々と、同い年の鈴木智貴通信員の力を借りて出国前からコンタクトを重ね、貴重な時間を取っていただきました。

 デュッセルドルフで別の話題を取材した翌朝、ドイツ鉄道の高速列車ICEに乗って3時間11分。本社工場があるウォルフスブルクを訪ねました。駅のホームに着くと、目の前は工場。敷地面積は6・5平方キロメートル(東京ドーム138個分)もあり、とても見渡せません。さすが世界一。VWグループの販売台数は、15年まで4年連続首位だった日本のトヨタ自動車を抜き、16年から2年連続で世界トップです。17年の総売上高は約30兆3000億円、営業利益も2兆円に迫る勢い…。過去最高益を記録した大企業は規模が違います。

 買収、オープン戦略で積み上げた資金は潤沢。サッカー界への投資も積極的ということで、取材をお願いしました。地元メディアによると、ドイツ連盟との契約は19年から24年7月まで年間2500万~3000万ユーロ(約32~38億円)。これまで約50年にわたって連盟をサポートしてきたメルセデスベンツも契約更新を試みましたが、VWが一騎打ちの最終選考を制し、来年から、前回W杯王者のドイツ代表と歩むことになったのです。これまでドイツ杯と欧州選手権をスポンサードし、これから年代別代表も女子もフットサルも厚くサポートしていく姿勢が評価されてのことでした。

 取材に応じてくれたのはスポーツ・コミュニケーション部のゲルト・フォス部長、52歳。VWは15年に排ガス不正が発覚し、地に落ちた消費者の信頼を取り戻すため、そして19年から販売を本格化する電気自動車をPRするため、人気あるドイツ代表のサポートを通して「企業イメージの回復と向上を図りたい」と包み隠さず狙いを説明してくれました。

 その詳細は既に掲載紙面で紹介しましたが、フォス部長と日本人選手のつながりまでは伝えられませんでした。VWは、ドイツ1部ブンデスリーガの地元クラブ、ウォルフスブルクを支えています。07-08年シーズンから13-14年シーズン途中まで、日本代表主将のMF長谷部誠が所属していました。FW大久保嘉人も09年1月から半年間だけ所属し、優勝に貢献しています。その時、クラブの広報部長を任されていたのがフォス部長だったのです。

 同氏は元新聞記者。大学でジャーナリズムを専攻した後の86年、ドイツ紙ルールナハリヒテンで執筆業をスタート。10年間のブンデスリーガ取材を通して人脈を築き、96~09年はシャルケに引き抜かれて広報部長を務めました。まだDF内田篤人の入団前のことでした。

 その後、12年までウォルフスブルクの広報部長。特に長谷部への思い出が深く「私が会った中で最も礼儀正しく、最も親切で、最も知性にあふれ、常に努力を怠らない完全なプロでした」と絶賛していました。VWのスポーツ・コミュニケーション部長に転じるまで「マコトを追いかけて、たくさんの日本人ジャーナリストが来ていましたね」と懐かしそうに、優しい表情を見せてくれました。

 14年に長谷部がニュルンベルクへ移籍したことにも触れ「本当に残念でなりません。ウォルフスブルクが彼を移籍させたことは理解に苦しみます。あの移籍は絶対に間違いです。ウォルフスブルクは、クラブの象徴といえる選手を必要としているのに、その素質があったマコトを手放した。本当に残念です」。日本のキャプテンは、それほどまでに愛された人材だったようです。

 その長谷部にとって、今夏が最後のW杯になる可能性があります。フォス氏は「マコト、そして日本代表が目標に到達できることを祈っています」とエールを送り、再び褒めちぎりました。「選手にとって最も重要なのは『人間性』。この世界に私は30年いますが、礼儀正しく振る舞うか、他人に親切にできるか、それができる選手は特に印象に残ります。間違いなくマコトはその1人です」。

 日本では、解任されたハリルホジッチ監督とチームメートの間に立ち、苦しんだ長谷部。フォス氏の賛辞を借りれば、昨年から水面下では直面していた板挟みの“試練”も、乗り越えられる人格者だったということでしょう。「代表とスポンサー」が取材の目的でしたが、ハリルホジッチ前監督から全幅の信頼を寄せられた長谷部が、異国でも外国人から認められる理由まで、何となく分かった気分になりました。【木下淳】


 ◆木下淳(きのした・じゅん)1980年(昭55)9月7日、長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。04年入社。文化社会部、東北総局、整理部を経て13年11月からスポーツ部(東京五輪パラリンピック・スポーツ部)。鹿島アントラーズ、FC東京とリオ五輪、A代表担当を歴任。東北総局時代に花巻東高(岩手)2~3年時の大谷翔平も取材しました。