1年でのJ1復帰を逃し、順位はチーム史上最低のJ2の16位。13年ぶりにJ2で戦ったアルビレックス新潟の18年は、散々な結果に終わったといえる。

そんな中で、最も明るい話題はDF早川史哉(24)の復帰だろう。

16年4月に急性白血病を患い、17年1月からは選手契約を一時凍結して治療に専念していた。11月に凍結解除が発表され、来季は選手登録される見込みだ。

8月にはトップチームの練習に参加できるようになり、10月以降は練習試合で45分間は出場するようになった。「足、だいぶ太くなってきましたよ。日焼けもしてきたし」。長期の入院生活で、一時は細身の女性のようにか細く、色白だった両足には、サッカー選手らしい浅黒い筋肉が盛られるようになってきた。

闘病生活の間、チームメートが試合場で募金活動を行った。他クラブも同調した。SNSには多くの人々から温かいメッセージが寄せられた。「周りの人たちの支えで、もう1度プロとしてやりたいという目標を持てた。ピッチに戻った姿を見せることが恩返し。そして同じような病気と闘っている方々にパワーを与えられるようになりたい」。

「恩返し」と、「同じように苦しむ人への励み」に。病を経験しなければたどり着けない心境を、言葉にするとこうなる。ただ、それでは済まされない壮絶な苦しみの日々があったことは、想像できる。

本人でなければ分からないとはいえ、そのつらさをもっと伝えられる気の利いた表現を、こちらはできないものか。死の恐怖すら味わった人に対して少し軽すぎはしないか…。そんな気持ちを、早川に明かした。

反応はこうだった。「記事になり、そこから僕を知ってもらって、僕を見てもらって。そうして伝わるものだと思うんです。だから、そのまま文字にしてください」。シーズン中から、早川は自分の体験を様々な機会で話し始めた。メディアを通じてだけでなく、自らが病院や学校に足を運んで伝えた。髪の毛が抜け落ち、やせ細っていく中、寄り添い、一緒に闘ってくれる家族やチームメートの存在がどれだけありがたく、勇気づけられたか。そんな体験を赤裸々に語った。

体験したこと、感じたことを明らかにし続けることが自分の使命。「病気をして、病気の人と共有できる気持ちの範囲は広がった。プロ選手の自分だからできることは、それを、多くの人に発信すること」。その姿を、そのまま表現することがメディアの務め。協力する、などというおこがましい気持ちはない。24歳の若者の覚悟を、世の中に少しでも…。引き締まる思いがした。【斎藤慎一郎】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)

◆斎藤慎一郎(さいとう・しんいちろう)1967年(昭42)生まれ、新潟県出身。15年9月から新潟版を担当。サッカー以外にはバスケットのBリーグ、Wリーグ、野球、アマスポーツなどを担当。