20年東京五輪サッカー日本代表を率いる森保一監督(49)が、広島への思いを語った。昨年7月に引責辞任でJリーグ・サンフレッチェ広島を去ったが、前身マツダ時代から選手、指導者として大半の時間を過ごしたクラブ、そして広島の街への感謝の思いは変わらないという。恩返しのためにも五輪でのメダル獲得を誓う森保監督が、ぶれることのない“広島愛”を明かした。【取材・構成=横田和幸】

 昨年10月に東京五輪代表を指揮することになった森保監督は、就任会見で「目指すところは当然、メダル獲得」と68年メキシコ大会3位以来、52年ぶりのメダル獲得を目標に掲げた。本番まで約2年半。今年はU-21代表監督として本番への準備を加速させる。その前にどうしても、古巣広島への感謝の思いを言葉にしておきたかった。

 「昨年のJ1残留は本当にうれしかった。本音を言えば、あの輪の中にいたかった。でも、自分が広島に育てられたという思いに変わりはない。辞めたからといって嫌いになったことは1度もない。てっぺんを見ているチームが、成功体験だけを引きずっていては何も成し遂げられなかったはず。踏ん張れたのは大きな経験になる。大きな節目の1年でした」

 現役時代も主に広島で過ごし、12年から監督に就任した。16年までの5年間でJ1優勝は3度。それが17年は歯車が狂った。MF森崎浩司が引退、FW佐藤寿人、得点王FWピーター・ウタカが移籍するなど主力が入れ替わった。17位で前半戦を折り返した7月、森保監督は引責辞任した。

 「クラブが成長していく中で自分が役に立てるならと監督になった。東洋工業、マツダ、広島と歴史を築いていき、その中で自分も、いつか誰かにバトンタッチする時が来ると思っていたし、覚悟はあった。でも(退任後は)申し訳ないという思いはずっとあった。そんな中で(甲府から新加入のMF)稲垣が特長を出して残留に貢献したり、みんなで結果を出せた。自分は部外者になったが、ずっと結果は気にしていた」

 クラブは城福監督が新たに就任し、心機一転、18年のスタートを切る。どれだけ変わっていこうと、クラブはもちろん、広島県民や市民への感謝の気持ちは忘れないという。今回の取材の際、サインを依頼すると迷わず記された言葉が「ありがとう、広島」だった。

 「サンフレッチェには18年以降に再びチャンピオンになってほしいし、新しい歴史を築いてほしい。コンセプトである選手育成を忘れずに結果を出してほしい。そして、私を育ててくれたクラブはもちろん、広島の街には本当に感謝しています。広島の人々へ、ありがとうという言葉を贈ります。五輪では日本国民の期待、広島の人々の期待を胸にベストを尽くします」

 長崎県出身だが、生活の拠点を広島に置いて約30年が過ぎた。広島への熱い思いを胸に、森保監督は新たな勝負に挑んでいく。